〜江戸期の古文書を漁っていたら、神谷邸建築当時の絵図面が出てきました。<ウソ(笑)〜
この試みは、(一)「剣心の声は、果たして母屋で眠る薫・弥彦に聞こえるのか・・・?」
(二)「左之助が忍んで来る木戸から剣心の部屋までは、どのくらいの距離があるのか?」
という二つの疑問追求のためだけに成されたものであることを、お断りします。(笑)
大きさの資料として、はっきりしたものは各室の畳の数だけでしたので、
それを頼りにまず離れの大きさを推定し、その他の、道場や厨の大きさなどについては、
アニメ・OVAなどからの目分量を下敷きに、離れの屋根のサイズを物指しにして類推したもの
であることをお断りします。(原図は150分の1縮尺です・笑)
◆◇母屋:薫と弥彦の部屋は各8畳。 納戸は6畳二間。 大座敷は12畳二間。
中の間は6畳二間。 座敷と仏間は各10畳。
◆◇離れ:8畳二間。
◆◇玄関の間口は二間(3640mm)としてみました。
畳は「江戸間」(または五八間・関東間・田舎間とも呼ばれる)のサイズを採用しました。
丈:五尺八寸(1757.4mm) 幅:二尺九寸(878.7mm)です。
(これは、静岡県以東で用いられた畳のようです。)
《江戸間のサイズは、日本で一番大きな規格とされる「京間」(本間・関西間)の
丈:六尺三寸(1908.9mm)・幅:三尺一寸五分(954.45mm)と比べると、
京間の6畳は江戸間の7.1畳に相当するほどの違いがあります。
これは16世紀終わりの頃、京都を中心に広まった「畳割り建築」が、畳の寸法を基準としたものであったのに対し、
江戸では「柱の芯々」(柱と柱の中心の距離)を一間(いっけん)(約1820mm)として、
それを基準とする「柱割り」の建築が採られたためです。
江戸では火事が多く、しょっちゅう家屋を建てなければ間に合わないという事情があったために、
生産性の上がる柱割りが採られた・・・ということだそうです。》
◆縁側の幅は、アニメから柱の幅の約10倍と踏み、柱の幅を6寸(約180mm)として
縁側の幅を一間としました。
(が、これは正直なところ、柱幅の想定が太すぎたかも・・・と思っています・汗)
ちなみに、縁の幅が四尺五寸(約1360mm)以上あるものが「広縁」と呼ばれるそうです。
◆また、縁側&渡り廊下の屋根を支える柱は、芯々で一間の間隔を想定していますが、
微妙に誤魔化しています。(笑)
尚、縁側から渡り廊下へと曲がる角位置の柱は、雨戸を立て回す時の都合と、
強度の観点から、他の柱より太いものが立っていないと困るんじゃ・・・と考えたので、
2倍幅にしました。
◆また、「雨戸の数」が気になったので(時々左之助が閉めるのを手伝っている^^;)、
戸袋の想定もしてみました。雨戸は全部で35枚。大変でしょうね。(笑)
◆厠の位置が実は不可解だったのですが、「欠け」よりも「出」を良しとする家相の観点
から、出っ張らせてみました。
これにより南北にも窓が取れますので、灯り取りが出来るのと同時に、
通風も良くなり、母屋内に臭気が漂うのを防げるのではないかと思います。(笑)
◆湯殿の建屋には、薪を貯蔵するための倉も併設しておきました。(^_^)
◆家屋の支柱は省略していますが、道場については、
「あの大空間を支える柱はどうなっているのか・・・」と考えていたところ、
入り口と祭壇の両側に謎の空間があることに気付いたので、
恐らくそこに柱があるのだろう・・・と想像して書きこみました。
さぞや太い柱であろうと思われます。(^^;)
◆◇尚、「木戸」は左之助が入りやすいように「内開き」にしました。(笑)
**木戸から剣心の部屋の戸口までは、およそ25mほどと思われます。**
**剣心の部屋から薫たちの部屋まで、廊下と縁側の距離だけでおよそ26mあるようです。
これなら少しくらいの声は聞こえないのでは・・・と思いますが、
雨戸を立て閉めると・・・どうなんでしょう??響くかな??(^_^;)**
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