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 ・・・頬を撫でる冷たい空気・・・
 何も聞こえぬ、無音の空間・・・
 ゆうるる、ゆるる・・・意識は上がる、浮かんでくる。
 「・・・・・・」
 目を開いた。
 ・・・薄暗い。けれど・・・白々とした明かり具合はまさしく・・・
 夜明け、なのか・・・
 そう認識して、左之助はようやく息を吐き出した。と・・・
 「左之・・・?」
 蒼い瞳が、自分を見下ろしてきた。見覚えのある面差し、左頬の十字傷・・・左之助、苦笑を滲ませた。
 「・・・朝っぱらから、そんな辛気くせェ面をするなよ。気が滅入るぜ」
 「あ・・・すまん」
 素直に謝り、つと瞳を落とした赤毛の人・・・剣心に、左之助は再び苦笑。
 「馬鹿、言われたそばから、さらに落ち込んでンじゃねェよ」
 「左之・・・」
 「・・・心配、かけちまったみてェだな。悪かったよ・・・」
 そう言って左手、枕元に座っている剣心へと伸ばし・・・。意図を察して剣心は目を閉じる。
 ・・・温かい。
 当然のことながら彼が生きていることを実感して、思わず頬を擦り寄せ、ため息を洩らした。
 「剣心・・・剣心、なんだな・・・」
 「あぁ・・・拙者でござるよ」
 「もう・・・あんなこと、すんじゃねェぞ」
 「・・・・・・」
 剣心は沈黙した。沈黙しつつ、彼の左手へ己が両手を添える。
 「・・・道場で何をしてやがった、剣心」
 「・・・・・・」
 「答えられねェか? それなら別に・・・」
 「・・・左之」
 剣心は左之助の左手を握りしめたまま、こう切り出した。
 「あの時・・・拙者は、斎藤に勝てたと思うか」
 「は・・・?」
 何を問うか・・・と、やや驚いたような表情を示した左之助に、剣心は淡々と語り始めた。
 「拙者は知りたかったのだ・・・あの時、斎藤に勝てたかどうか。決着が・・・結末が、知りたかった・・・」
 「・・・なぜ、知りたい」
 「なぜ・・・? なぜか・・・なぜかはわからぬ。ただ・・・」
 つと、剣心の眼差しが遠くなり。
 「あの時・・・拙者の中には確実に抜刀斎がいた・・・過去のものだと、過去の自分だと思っていたものが確実に・・・もう一人の自分としてこの中にいることを、あの時知った・・・知ってしまった・・・」
 ぎゅうと己が袷を握りしめ。剣心は紡ぐ。
 「だから・・・だからなのかも知れぬ。本当に抜刀斎がいるのかどうか知りたくて、斎藤に勝てたかどうか知りたくて、拙者は道場へ・・・」
 トクトクと鳴る胸を抑えて・・・言葉はこぼれていく。
 「あの時と同じ動きを描いて、刃をふるって・・・そんなときに左之、お主が現れて・・・」
 「・・・剣心」
 「・・・何だ」
 「知ってどうするつもりだった。おめェの中に確実に抜刀斎がいたと知れば、斎藤に勝てたと知れば、おめェはどうするつもりだった」
 「それは・・・」
 容易く言葉に詰まった剣心を、左之助は鋭く睨め付けた。
 「・・・許さねェよ、そんなこたァ」
 「左之・・・」
 「言ったはずだ、絶対に反対だって! 行く必要はねェって!」
 「しかし左之、拙者がここにいる限り、様々な災厄を引き込んでしまう。現にもう・・・。この辺りが潮時なのでござるよ・・・」
 「何の潮時だってンだ!」
 俄然、左之助は怒りを浸透させた。
 「おめェが抜刀斎だろうが何だろうが、関係ねェよ! みんなそれがわかっていて、その上でおめェに惚れこンでっから、こうして一緒にいるんだろうが!」
 剣心は黙った。ぷっつりと言葉を失せたまま、じっと動かず目を伏せている。
 「そんなこたァ、おめェだってわかってンだろ。わかっているから、俺達が迎えてくれるってわかっているから、ここにとどまってンじゃねぇのかよッ?」
 ぐわり、左之助は上体を起こした。全身に激痛が走ったはずだが、今の左之助には感知できぬ。沸きたつ情の色が赤黒く染まって煮えたぎる。
 「ここにいることが、おめェにとっては気持ちがいいんだろッ? だからとどまってンじゃねぇのか、流浪人にならず! この気持ち良さから抜けたくねェんだろ!」
 ハッとしたように剣心の面差し、クイッと上がった。蒼い瞳と漆黒の瞳が空中、ガツンと音を立てる。
 「確かめたのは・・・知りたかったのは、抜刀斎がいないことに、負けることに希望を持ってのことじゃァないのかッ? いないことを知りたくて願って、往年の強さがないことを願って確かめた・・・違うかッ?」
 「左之・・・」
 「そうでなきゃァ! おめェ、どうしてまだここにいるンでェ! あの時、大久保のおっさんが来た時、『ハイ、行きます』ってェ返事をして、すぐに行きゃァ良かっただろ! 勝負の勝ち負けなんざ、抜刀斎なんざ関係あるかよ! すぐに行きゃァ良かったんだ!」
 「・・・!」
 「なのに・・・どうしておめェ、ここにいるんでェ・・・どうしてすぐに京都に行かねェ? おめェのこった、行こうと思えばすぐに行けるじゃねぇかよ、誰にも何も言わずに! そんなことは絶対に許さねェがよ・・・。なぁ、おめェ・・・ここにいてぇんだろ・・・俺達と一緒に、いてェんだよな・・・?」
 つと・・・声音が落ちて。左之助の瞳が緩やかに・・・
 「だから・・・ここにとどまり続けるためには、抜刀斎が存在しちゃァならねェ、強さがあっちゃならねェ・・・そう、思ったんじゃねェのか・・・剣心。今の自分は役に立たないと、おめェが知りたかったンじゃねェのか」

 ・・・そう・・・かもしれない。

 剣心は、ぽ・・・そう思った。
 自分の心が見えなかった、何度考えても、どう考えても。
 自分のことであるはずなのに、それはどろどろとした闇で、いくら掘っても何も見えなかった。だから・・・
 剣に問うてみようと思ったのだ。
 もし、抜刀斎がいたら? もし、斎藤に勝てたら?
 ・・・考えると、心の底からぞっとした。
 ・・・どうして・・・ぞっとする?
 今の、この瞬間が壊れるからだ。
 ではなぜ、そのことに恐れる・・・
 ・・・恐れる・・・?
 そう、か・・・
 自分は恐れていたのか。今のこの・・・
 この時の流れが覆されることを、否定されることを。そうとも・・・なぜなら、

 ここがとても、居心地が良いから。

 「・・・左之・・・拙者・・・」
 「・・・いてェんだろ、ここに」
 「・・・・・・」
 「いていいんだよ・・・いろよ、ここに」
 「・・・しかし、左之、」
 「いろ、つってンだろ!」
 左之助の両腕、剣心の身体を巻き込んだ。剣心の鼻腔、汗ばんだ肌の臭いに侵食される・・・
 「・・・どうしてわからねェ、剣心・・・」
 喉を詰まらせ、掠れた声に・・・剣心は言葉を詰まらせる。
 「おめェの気持ち、わからなくもねェ。けど・・・けど、今回ばかりは行かせたくねェんだよ。例えおめェが、京都を放っておけないとしてもだ」
 「・・・・・・」
 「どうしておめェばかりがそんな目に合わなくちゃならねェんだよッ? そうだよ・・・おめェだって、人並みの幸せってやつを持ったっていい、考えたっていいはずだろッ? ・・・どうして、おめェばっかり・・・!」
 「・・・左之・・・」
 「俺だって、本当はおめェを行かせてやりてェ。それが本当だと思う、おめェの道だと思う。その道を止めるべきじゃねェ、むしろ止めちゃぁならねェと思ってる。でも・・・でもよ! そうさ・・・俺は・・・俺はやっぱり、おめェを行かせたくはねェンだよ! おめェを離したくはねェンだよ!」
 「左・・・」
 「何よりおめェ、抜刀斎になりきれねェじゃねェか! 人が斬れねェ抜刀斎なんざ、抜刀斎じゃねェ! そんなおめェを、どうして行かせられるよ! 行ったところで、苦しむおめェがいることがわかってンのに、みすみす行かせられるか!」
 「・・・!」
 「・・・な。俺が・・・俺達が守ってやっから、迷うことはねェからここにいろ、剣心・・・」
 ぎゅううぅ・・・。
 きつく、きつく・・・汗と、少しく血の混じった萌芽が鼻を染め、肌は力強さに包み込まれた・・・
 身動きできぬほどに。
 息をも詰まるその感触に、けれども剣心は呻き声の一つも上げず・・・微睡むように目を閉じていた。
 ・・・こうして何度、この男に抱きすくめられてきたか、知れない。
 肌を許してまだ・・・間もないというのに・・・
 どうしてこれほどまでに安堵し、この温もりを得難いものと思えてしまうのか・・・。
 剣心は、そっと彼の背中へ手のひらを這わせた。
 ゆるく曲線を描いた背中は、鍛え抜かれた筋肉に覆われ、鋼のように固くしなやかであった。
 自分にはない強靱な肉体に、たまらない快さを覚えながらも・・・その心、非常なまでの寂寥に満ちあふれていた。

 そう・・・そうとも。自分は・・・「抜刀斎」にもなりきれなかった。「剣心」にもなりきれなかった。何という・・・半端者なのだろうか。
 こんな半端な人間が、半端な強さが、この瞳に映る人々を守るなどと・・・何と・・・
 何とおこがましい・・・!

 剣心、左之助にしがみついた。

 彼は言った、どうして自分ばかりがこんな目に合うのか、と。
 ・・・それは、あの時代に生きた者の宿命・・・逃れられぬ、生涯をかけて成さねばならぬこと・・・。
 彼は言った、人並みの幸せを持ってもいい、考えてもいいはずだ、と。
 ・・・それはできない。なぜなら、この手で無数の命を奪ってきたから・・・。
 今の自分が、幸せを得ることなど・・・あってはならぬことなのだ。
 たとえ本音が別の所にあったとしても。
 自分には・・・それは決して、許されない。
 あぁ・・・迷う必要など、自分にはないではないか!
 甘い夢に、甘い欲望に縋る資格など、端からなかったのだ・・・
 すべてにおいて半端な自分が、ここにいて良いなどと・・・!

 「左・・・之・・・」
 思わず、指先に力が入った。クッと、爪が左之助の背に食い込む。
 「でも左之・・・拙者はやはり・・・」
 「馬鹿野郎! まだわからねェのか!」
 「左之、」
 「うだうだ抜かすんじゃねぇ!」
 バン!
 剣心の身体、褥に叩きつけられた。
 左之助、彼に馬乗りになって面差し、ズイッと覗き込む。
 「迷う必要なんざ、ありゃしねぇ! おめェはここにいりゃぁいい!」
 「左之・・・!」
 「わからねぇなら、俺が力ずくでもここに置いてやる、縫い止めてやる」
 左之助の両手、剣心の袷を掴むなり荒々しく、左右へと割り開いた。
 身を強張らせた剣心など捨て置き、左之助は己が肌を摺り寄せていく。
 「左・・・!」
 抗おうとする彼の両手を片手で纏めて一捻り、たちまち唇を奪って言葉を吸い込んだ。
 「ン・・・!」
 激しく荒ぶる魂が、唇の奥へとなだれ込んでくる。
 剣心の意識は他愛もなく掻き消される・・・甘美なる、夥しい情熱の音に満たされて。
 「・・・行かせねェ・・・行かせてたまるもんか・・・今更政府の犬になるなんざ・・・今更人斬りに戻るなんざ・・・絶対に・・・」
 やや呪詛にも似たその声音を、どこか遠いところで聞きながら・・・剣心は。左之助の灼熱の嵐に飲み込まれていく・・・
 次第、次第に熱を帯びていく身体。
 次第、次第に悲哀を帯びていく心。
 その裏で・・・
 いよいよ増して寂寥の風が吹き荒んでいた。

 どれほど・・・どれほどの激しい想いがあろうとも・・・きっと、きっと・・・もう・・・

 剣心は・・・目を閉じた。


 遠く、微かに・・・鳥のさえずりが聞こえる。
 完全な闇色ではないのは・・・朝が訪れつつある証・・・
 今日は・・・何色の一日になるのだろう・・・
 あと何日、安らぎの日々は許されるのか・・・

 指の隙間、するする落ちる・・・
 落ちゆくものは、儚きもの・・・
 現にして夢であった、遠き幻影。
 小さな泡、
 二つの爛れた想い、
 冷えた室内へたちまち消えた・・・




     了


jet@tokinodaichi.com
「漆黒の刃」http://www3.to/yaiba

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m(_ _)m

拝啓 Tsuki殿♪

 ・・・非常にお待たせしまして、申し訳ござりませんでした(^^;)!
 お話を頂いてから・・・果たしていくつ、夜は過ぎ去ってしまったことでござりましょうや・・・(ドキドキドキ)。
 改めまして、サイト開設まことにおめでとうでござります(*^^*)!!
 ほぼ時を同じくしての開設・・・非常に親しみを覚えてしまいまする(笑)♪
 これからもどうか、仲良くしてやって下さりませね、Tsuki殿〜(涙)!
 ・・・さて、今回の拙作・・・Tsuki殿のお眼鏡にかないますかどうか(^^;) ハハ・・・難産だったわりに、どうも・・・(-_-;)
 このようなもので申し訳ないのでござるが・・・お祝いのささやかな気持ち、どうか、もらってやって下さりませ(涙)! m(_ _)m
 ちなみに、タイトルに意味などござりませぬ(笑) ほとんどインスピレーションでござります(^▽^;)♪
 ではでは、これからもますますのサイトご発展をお祈り致しつつ・・・♪
 長時間のお目汚し、まことにありがとうでござりましたっ m(_ _)m

かしこ♪

03.06.14