[    後  ]



 屋根の下にいると、雨音など静かなもの。
 欄干に身を持たせ、剣心はぼんやりと空を眺めていた。
 雨足は先ほどとあまり変わらず・・・されど、さほどの音もなく。
 剣心は、外へ・・・視線を投げていた。
 濡れた髪、整えもせずに背へ流したまま。
 「剣心」
 湯から上がってきた左之助が、部屋へ入るなり剣心の傍らへと腰を落とした。
 「・・・静かなところだな」
 「そうか? まぁ・・・ちょいと奥の方の部屋だからなぁ。静かかもしれねぇな」
 手拭いで頭をガシガシと拭きながら、左之助はそう答えた。
 剣心の手を引きずるようにして入った一軒の旅籠。
 神谷の屋敷へ帰った方が一番良かったのかもしれないが、薫の目の前に、こんな濡れ鼠となった剣心をさらすことなど、左之助にはどうしてもできなかった。
 京都での一連の出来事があってまだ間もない。余計な不安を抱かせたくはなかった。
 それは剣心とて同じ思いであったらしく、左之助の行動に何ら、文句の一つもこぼさなかった。
 ここがどこの町で、どこの旅籠であるのかなど、二人にはどうでも良いことであった。
 濡れてしまった衣装を旅籠の者に預け、今は浴衣に袖を通している。衣装が乾くにはかなりの時間が・・・明日までかかってしまうだろうことは、二人とも暗黙の中で了解してしまっていた。
 「酒でも飲むかい、剣心」
 「あぁ・・・頂こう」
 欄干から離れ、剣心は銚子を手にした左之助に応じるように、杯を手にした。
 だが、酒が杯を満たしても剣心は、飲む気配を見せない。
 じ・・・と、杯の水面を見据えたまま。

 「・・・剣心?」
 「え?」
 「杯、止まってンぜ」
 「あ・・・すまぬ」

 くい、と明け・・・剣心もまた、銚子を手にして差し出す。
 無言のままに、左之助は杯を握った。

 「・・・なぁ、剣心」
 「・・・何だ」
 「何があったんだ?」

 一瞬、剣心の眉尻が上がったが・・・すぐさま、首を横に振った。

 「何でもござらぬよ」
 「嘘が下手だぜ」
 「・・・・・・」
 「俺にも話せねぇってか」
 「・・・・・・」
 「俺は頼りねぇか?」
 「違う、そういうことではない」

 つと眼差しを上げると、食い入るように見つめる左之助の瞳があった。
 杯を重ねながら、ついには銚子そのものに唇を寄せながら、それでも彼は剣心から眼を反らさない。
 剣心は、左之助から目が離せなくなった。その、まっすぐな眼差しから。

 「剣心?」

 黒い瞳が・・・どこか、彼女を思わせた。
 あの瞳を思い出す・・・瞬きすることなく見つめていた、瞳を。
 彼女は・・・何を・・・

 「剣心、おめぇやっぱ、おかしいぜ。何をそんなに考え込んでやがる? 何があったんでェ?」
 「何も・・・」
 「何も? 雨が降っていることにも気づかず、川が増水していることにも気づかず、そんな川ン中へ突っ込もうとしていたのに? 何でもねェってのかよ!」
 「左・・・」
 「人をおちょくるのもいい加減にしやがれ!」

 左之助の右腕が、容易く剣心の胸倉を掴み上げた。
 だが、剣心は抗わない。苦悶の表情を浮かべつつも、苦情の一つもこぼさない。
 それがさらに、左之助を逆撫でした。

 「何もかも自分の胸ン中にしまいこみやがって、それでいいのかよ! そうやって、周りに心配をかけまいとしてンのかよ! それなら全くの大馬鹿野郎だぜ! 隠しているつもりだろうがなァ、とっくの昔からお見通しよ! おめェ、俺にどんだけ泣かされてきたと思ってやがる!」

 ぐあ、と懐を左右へ大きく広げられ、剣心は身を強張らせた。

 「どんだけ俺にこの肌ァ、食われたと思ってやがんだ、えぇ? 言っとくがなぁ、今の俺は嬢ちゃんよりもおめぇのことを知ってる! 小さな変化だって見逃さねぇ! おめぇ、この間俺に抱かれたときも何か別のこと、考えてやがっただろ」
 「・・・・・・!」
 「図星だな。おいこら、白状しろよ。何をそんなに考え込んでんだ、悩んでんだ! うだうだ悩んでねぇで話してみろよ!」
 「左・・・!」
 「話さねェと、後からひでェぞ」

 剣心は畳の上、組み敷かれたその態勢のまま・・・左之助を見上げた。
 怒気と、歯がゆさを滲ませた燃える両眼。
 その瞳を見たとき・・・
 すぅ・・・
 剣心の中から何かが消えた。

 「・・・左之・・・」
 「何だ」
 「俺は・・・ここにいて、良いのか」
 「は?」

 何を言っているのかわからない。
 左之助、思わず目が点になった。

 「何を言ってやがんだ。『ただいま』って帰ってきただろ。ここにいるつもりでおめえ、そう言ったんじゃねェのかよ」
 「・・・言った」
 「それじゃぁ、なんで・・・」
 「・・・俺の今は、たくさんの、奪った命の上に成り立っている」
 剣心は淡々と言った。
 「多くの幸せを奪った俺が、どうしてこんな・・・満ち足りた思いを手にして良いと言えるんだ? そんな資格、あろうはずがないだろう・・・!」

 ポカン、と。
 剣心の目に映ったのは、左之助のあんぐりと開いてしまった大きな口。
 思わず剣心、見とれてしまった。

 「・・・何だ、その顔は」
 「いやぁ・・・つくづく大馬鹿野郎ってェか・・・単純、てェか・・・」
 「・・・何が言いたい」
 「おめェさぁ・・・それ、本気で考えてきたんだろうが・・・考えなくてもいい事だと思うぜ」
 「どうして・・・!」
 「どうして? おめぇ、このままずっと逆刃刀を握っていくんだろ」
 「当たり前だ」
 「その瞳に写る人々を、守っていくんだろ・・・幸せを守るために」
 「そうだ」
 「・・・おめぇ、幸せがどんなものか、知ってンのか?」
 「・・・?」
 「何が幸せか知ってンのかって、聞いてンだよ」

 剣心の唇が動いた。
 が、肝心の言葉が出てこない。
 この時初めて、自分が絶句していることに気づいた。

 「・・・言えねェか」
 「そ、それは・・・!」
 「本当の幸せを知らないヤツが、どうして幸せを守るって言えるンでェ」
 「・・・・・・!」

 今度は剣心の目が丸くなり、点となった。それを見て左之助、小気味よく笑った。
 「その瞳に映る人々を守っていくんだろ? その映るってなァ、何だよ。ただ単に『人』だけかい? おめェのこった、そいつは違うだろうよ。おめェにとって『守る』ってなァ、命もひっくるめた、その人の人生なんだろ?」
 「左之・・・」
 「おめェ、幸せの何かも知らずに逆刃刀をふるってたのかよ。守られたほうは堪ったもンじゃねェや、それで守った気になってもらっていちゃぁよ! 幸せの本当の重みも知らない奴に守ってもらったってなァ、そいつは上っ面のことでしかねェ、その場しのぎでしかねェんだよ!」
 「だが左之助! 俺は無差別にその幸せを奪ってきた男だ! 今さらのうのうと・・・!」
 「だから大馬鹿野郎だってェんだ!」
 左之助、吠えた。
 剣心、喉を詰まらせる。
 「本当の幸せも知らねェで、どうして『守った』と言えるんだ! おめぇは命の重さは充分すぎるほどに知ってる、だが幸せは? 知らないだろう! わからないだろうッ? それを知ってこそ、本当に刃がふるえるんじゃねぇのかよ、守れるんじゃねぇのかよ!」
 「左之!」
 剣心は激しく首を振った。何度も、何度も、何度も。
 その胸倉を掴まれたまま、剣心は赤毛を振り乱しながら言ったのだ。
 「俺だって・・・俺だって、幸せくらい知ってる・・・知ってるさ! 俺だって、幸せだと感じる時があった、好きな人と一緒にいることが心地よいと感じたときがあった! だがその幸せさえも、俺は・・・この手で斬り捨ててしまった・・・!」

 唇を噛みしめて、剣心は嗚咽を噛み殺す。
 自分を食い入るように凝視している左之助を、見つめながら。

 「そうとも、俺はこの手で斬り捨てたんだ! 彼女もろとも斬り捨ててしまった・・・! だから・・・だからなおさらに俺にはその資格はないんだ、こんな満ち足りた思いに縋っては・・・!」
 「いい加減にしろ!」

 咆吼した左之助の一言は、剣心に震えを起こさせた。
 ハッとしたようにして彼を見据えれば、左之助は・・・全身を小刻みに震わせていた。

 「だったら余計に、おめェは幸せにならなくちゃならねぇ・・・もう一度掴んで、その重みを確かめなくちゃならねェ! 掴んで確かめて、守り抜くことの難しさを身をもって知らなくちゃならねェ! そうだろッ?」
 「左・・・」
 「おめェは幸せになっていいんだよ! いや、幸せにならなくちゃならねェんだ! 幸せの尊さを知るおめェなら、きっとどんな奴だって守っていける、だから・・・!」

 ぎゅ・・・と。
 左之助は、剣心を掻き抱いた。
 強く、強く・・・

 「そんな・・・悲しいことを言うなよ、剣心・・・」

 ・・・この時、剣心は・・・左之助の温もりを全身に感じながら・・・
 彼の心が、震えているのを感じた。
 激しく慟哭しているのを・・・感じた。

 どうして、左之助をこのような目に合わさねばならぬのだろう。
 こんな自分のために、心を砕いてくれる人がいる。
 こんな自分のために、怒って、抱きしめてくれる人がいる。

 「・・・左之、左之・・・」

 少しく両手を突っぱねると、左之助は力を緩めてくれた。
 改めて彼を見上げると、沈んだ面差しで剣心を見つめていた。

 「すまなかった、左之・・・拙者は、お主を・・・悲しませてしまったようだ・・・」
 「当たり前だろ! 今頃気づくなんざ・・・!」
 「拙者は・・・幸せを知っても、良いのでござるな」

 自らに言い聞かせるようにそう言った剣心に、左之助は力強く頷く。

 「一度失った幸せ・・・再び手に入れようとする幸せ・・・その重みを知ることが、拙者のもう一つの役目なのでござるな。重みを知って、尊さを知って・・・刃をふるうことこそが、この瞳に映る人々を守ることに・・・拙者の償いとなるのでござるな」
 「なる!」
 「ここにいても・・・留まっても良いのでござるな」
 「ここにいろ! おめェだってここにいたいから悩んでンだろ! だったらここにいりゃぁいい!」
 「左之・・・」
 「ここにいろ、剣心! ここはおめェの居場所だ!」

 居場所・・・

 その一言に剣心の、胸の中にあった巨大な氷が一気に溶けだした。

 あぁ、そうだ・・・
 自分はこの一言が欲しかったのかもしれない・・・
 自分の居場所が欲しいと。
 求められている場所が欲しいと・・・
 必要とされたいと、感じたかったのだと・・・!

 胸が、震える。

 「左之・・・!」

 華奢な両腕が、左之助の首元へと絡みつき強く身を縋らせ、貪るようにして唇を合わせた。

 「ン!」

 突然のことに左之助、狼狽えはしたがすぐに、順応を示す。
 同様に口づけを返しながら、舌先潜らせ意識を嬲った。
 たちどころ、剣心は悶え始め身を捩らせる。

 「ふぅ、ふぅん・・・ぁ、あぁ・・・」

 左之助が膝頭を突き込もうとすると、剣心の身体は苦もなく開かれた。
 裾がはだけ、白い大腿が露わになる。
 見せぬように、隠すように・・・浅黒い腕が乱暴にまさぐっていく。

 唇から流れる密やかなる水音と、
 肌から奏でる衣擦れと。
 次第、次第に行灯の明かりの下、互いの肌が浮き上がっていく・・・

 「左之、左之・・・」

 細い指先が、左之助の懐をまさぐってくる。腰紐を見つけると解いてしまい、あらぬ方向へと投げてしまう。
 左之助もまた、剣心の浴衣を守っていた紐を容易く解き、うち捨てていた。

 「左之、左之ぉ・・・あぁ、拙者に、教えて・・・」
 「・・・何をだ」

 細い頤を味わいながら、左之助はやや上目遣いに剣心を見た。

 「拙者に・・・幸せ、を・・・」

 左之助、ニヤリと笑った。

 「死ぬほど教えてやるよ」

 洩れた喘ぎすら惜しむように、左之助の唇は荒々しく吸い込んでいく。
 呼吸も、眼差しも、そのすべてが自分のものであると誇示するかの如く、
 彼の荒々しさはどんどん加速していく・・・
 ・・・やがて、剣心の意識がドロドロに溶け去る頃・・・

 頼んでいた酒など、既にその熱を失っていた。






 耳朶に堪る吐息に身が焦げる。
 振り払うように首を揺さぶるが、熱を帯びた吐息は後を追う。
 「あぁ・・・」
 と、か細くも歓喜の声を絞ろうものなら、
 「ここか・・・?」
 艶然と、不敵な余韻を含んだ声音が胸を這う。
 肌をくるんだ浴衣はどこへやら、部屋の隅へ追いやられてもう久しい。
 い草、畳の感触が心地よく・・・だが既にそれは熱っぽく、背中がべったりと張り付いて。
 身動き取れぬ我が身をしかし、陶然たる面持ちで受け入れている。
 胸乳の上には蠢く肉体、隆たる背・・・指先を這わせばたちどころ、火傷をするような汗にまみれる。
 「く・・・」
 我知らず、爪先が強く突っぱねた。
 必然、細い腰が反動で上向く。
 「・・・やけに今日は、乱れるじゃねぇか」
 喉の奥、忍び笑う声が脳裏に渦巻く。
 こだます声音を振り払いたくてもそれも叶わぬ、深く・・・深く耳朶の奥、ぬめった舌先あるがゆえ。
 震える声音、言葉にならずに吐息と成す。
 「まだ・・・これからだってェのに・・・もう、俺が欲しいのか・・・?」
 「ふ、んぅ・・・」
 「答えろ・・・剣心・・・」
 高く上がった腰部を捕らえ、逃がさぬとばかりに左之助の、右手がやにわに臀部を這いずった。奥に息づく密かなる、一つになるだろうその華に、そろりと指先・・・擦り寄せた。
 「あ、あぁっ」
 肌が大きく弾んでひときわ高く、嬌声が放たれた。
 宙を舞った赤毛の揺らめき、左之助はゴクリと喉を鳴らした。
 「何でェ・・・ちょいと触っただけだってェのに・・・もう、その気か?」
 薄闇の中、嬉しそうに・・・瞳のみを炯々と輝かせて左之助は言った。
 瞳の輝きのみが浮かぶその様は、闇を疾駆する獣のようで・・・
 その眼差しがこの姿態を捉えているのかと思うとにわかに、理性も甦る。
 甦るが・・・それも一瞬のことでしかない。
 「ほら・・・言えよ。欲しいのか」
 「左・・・」
 「欲しいんだろ? 欲しいって、言えよ・・・」
 執拗に胸乳の華を味わいながらも左之助、臀部を嬲ることをやめない。時折、剣心を睨み据えるような眼光を向けては、その白い牙を剥く。
 「ひ、ぁ・・・!」
 身を竦ませ、されど歓喜に戦慄き・・・ガリリ、畳を掻く。剣心は・・・切なげな吐息を繰り返す。
 「左之、左之・・・」
 何度も自分を呼ぶ剣心を、左之助は不意に抱きしめた。力一杯抱きしめようとする左之助を、剣心は不思議そうに見遣った。
 「・・・左之・・・?」
 「・・・俺が、欲しくはないのかよ、剣心・・・」
 「え・・・?」
 「俺ばっかり欲しがって・・・おめェは俺が欲しくはねェのかよ!」
 「左之・・・」
 「だってそうだろ! 俺はこんなにおめェが欲しいのに、必要だっていうのによ、おめェは何を考えてか川ン中へ突っ込んで・・・死ぬ気だったのかッ?」
 「それは・・・」
 「許さねェよ・・・絶対に許さねェ! 川の向こうに何があったのかは知らねェが、俺のほうがよっぽど剣心を欲しがってる!」
 「左・・・」
 「なぁ、おめェはどうなんだよ? 俺が・・・欲しくはねェのかよ? だから川ン中へ突っ込んでいっても平気なのかよ!」
 左之助は、剣心の返答など聞きたくないとでも言うように・・・きつく抱きすくめたまま、呟き続けた。
 「知らねェんだ・・・俺がどんなにおめェを欲しがってンのか、知らねェんだ! 俺だけじゃねぇ、みんながおめェを欲しがってンのにどうして・・・どうして・・・畜生・・・!」
 剣心は堪らず、左之助を抱きすくめた。左之助ほどの膂力はなかったがそれでも、彼には充分伝わったらしい。幾分肌を離すと、左之助の艶やかな瞳が剣心を捉えていた。
 「左之・・・すまなかった」
 一言呟き、軽く首を振る。
 「どうして・・・どうしてお主が欲しくないと言える。欲しいに決まっているではないか・・・! ただ・・・拙者には勿体なくて、満たされ過ぎて・・・手にするには余りにも・・・」
 「剣心・・・」
 剣心、左之助の右手をつと握り。するる・・・己が下腹部へと滑り込ませた。
 「・・・・・・あ」
 左之助の洩れた声に剣心、思わず視線を逸らした。
 「・・・拙者とて・・・お主が欲しくてたまらぬよ・・・求めることが恐ろしいくらいに・・・けれど・・・想いが、止まらぬ」
 手のひらの中に・・・息づく高ぶりは。明らかに左之助を欲している証であった。
 左之助は息を飲み込み、すぅと撫で・・・
 「あ、あぁっ」
 敏感にのけぞった彼の姿に、左之助はあからさまに喉仏を動かした。
 「剣、心・・・」
 左之助、剣心の右手をつと握り。するる・・・己が下腹部へと滑り込ませた。
 「・・・・・・あ」
 己が指先の・・・手のひらに当たるその高ぶりに、剣心はどうしようもない恥じらいと、かつてないほどの期待感に襲われた。
 胸が、弾けるほどの高鳴りを告げる。
 「・・・熱いだろ。俺だって、さっきからこんなに・・・おめェが欲しくて・・・」
 「左ぁ・・・」
 余裕の表情であった左之助の、面差しがみるみる苦悶に変わっていく。
 彼もまた、我慢の限界に近づいてきているのだろう。
 それは無論、剣心とて同様のことであった。
 「左之・・・」
 剣心、紅潮した頬をさらに紅潮させ・・・少しく、身体を割り。
 「来てくれ、左之・・・」
 これだけ告げることが、精一杯であった。
 彼の熱を受け入れるのは数日ぶりだが、まるで初めて肌を合わせたときのような心の高ぶりを剣心は感じた。
 我が身を穿ち、押し入ってきたその感触を。
 剣心は狂喜の中で迎え入れたのだ。
 ・・・気づけば。
 自ずと左之助へと腰部を突き上げていた。
 この温もりに、
 この腕に縋っても良いのだとわかった途端、
 洪水のように激しい想いが流れ込んできた。
 それまでどこかで堰き止めていた数々の「想い」が、荒れ狂うように流れ出し・・・求めようとしていく。
 「左之、左之、左之・・・!」
 滴る汗の感触が、とても嬉しい。
 眉音を寄せ、少しく瞼を落とし、荒い息づかいをしながら身を躍らせるその姿が愛おしい。
 「剣心、剣心・・・! あぁ・・・たまらねェ・・・!」
 剣心、不意に左之助の背に爪を立てた、

 「あ! ああぁ・・・!」

 一つになった二つの肉体が、大きく熾り・・・
 崩れ落ちたときには、互いの乱れた呼吸しか存在しなかった。

 「・・・ん、剣・・・心・・・」

 何とか息づかいを整えようとしながら、それすら待てないのか左之助は、何事か彼に語りかけようとしてくる。
 剣心が視線を流すと、

 「・・・幸せ、か・・・?」

 汗にまみれた左之助の、黒く輝く瞳に・・・剣心は、笑みを浮かべて見せた。

 「剣心・・・!」

 息が乱れたままに、左之助は構わず剣心を抱き上げた。
 胡座を掻いたその上に、剣心は一つになったまま向かい合って座らされ。

 「左・・・?」
 「まだだ・・・まだ、足りねェ・・・おめぇが欲しくて、欲しくて・・・止まらねェんだよ・・・」
 「な・・・!」
 「誰に憚ることなく、二人になれたのは久しぶりだろ。だから・・・もっと、抱かせろ・・・」
 「そんな・・・」
 「いや、食わせろって言った方がいいか・・・それくらい、今は・・・おめぇが欲しくてたまらねェんだ」
 「左之・・・」
 「・・・もっといい思い、させてやる。俺がどれくらい惚れてるのか、欲しがってンのか思い知らせてやる。そんでもって・・・『幸せ』ってモンがどういうモンか・・・その身体に刻み込んでやるよ」

 有無を言わせなかった。
 左之助は、その上気した肢体を抱きすくめ、荒々しい嵐の塊となって剣心を翻弄せしめた。

 それからは・・・
 ・・・知るのみは、開け放たれた戸、降り止まぬ雨のみ・・・。

 愛おしい腕の中で・・・剣心は思う。
 自分は今まで、本当の意味での幸せを知らなかった。
 言葉で一口に言ってもどんなことなのか、知りもしなかった。
 否、知る必要はない・・・自分が手にしてはならぬものだと思っていた。
 だけど・・・だけど、今は違う・・・
 日常の穏やかさの中に、
 交わす言葉の中に、
 そして、こうして求められていく中に・・・
 「幸せ」はあるのだと。
 その意味を知った自分はきっと・・・強くなった。
 今まで以上に「幸せ」の重みを噛みしめることができたから、
 失うことの重大さを痛感したから・・・
 剣を握る意味合いが、一段と重きを増す。
 だから・・・
 明日からはきっと、前に進むことができるはず。
 迷うことなく・・・前に。
 「幸せ」を守るべく、
 この逆刃刀をふるい続ける・・・

 視線を、何気なく外へ投げれば、雨。
 ・・・そこには・・・
 周りを彼岸花に包まれたあの・・・対岸で見た女性。
 熱気の中で意識を彷徨わせつつも剣心、少し・・・
 彼女が、微笑んだように見えた・・・。




     了


jet@tokinodaichi.com
「漆黒の刃」http://www3.to/yaiba

背景画像提供:「Queen's FREE World」さま http://www.alles.or.jp/~queen/





m(_ _)m

拝啓

 本当は、こういったネタはお盆の折りにやってしまうつもりでいたのでござるが・・・ それが叶わず(涙)、そういえばお彼岸があるぞと焦点を絞っておりました。
 お彼岸について何気なく調べてもいたのでござるが、お彼岸はあの世の世界(極楽)を指し、 現世である、生きている世界のことを此岸というそうでござる。・・・いろいろといわれはござるが、 簡単に言うとこんな感じでござるかな(笑)。
 また、昼と夜の時間がちょうど同じくらいであり・・・あの世とこの世が結ばれるとき・・・と考え、 思い至ったときに、剣心が川の対岸で巴に会う・・・という一場面が思い浮かんだのでござりました。
 今回の物語の発端はそこからでてくるのでござるけれど、脳味噌でかなり煮詰めたわりにかなりの 難産で(涙)。やっぱり・・・このテーマは難しかったと噛みしめること一塩(-_-;)
 しかも、自分の左之剣感や各キャラへの洞察、あるいは物語の読み込みが足りないな〜と 痛感することしきり(^▽^;) ・・・左之剣、なかなか奥が深うござります(涙)。
 難産であったわりに、出来具合はいかほどか・・・(-_-;)
 ・・・頑張りが足りませぬなぁ・・・(涙)。
 お目汚し、まことにありがとうでござりました!
 m(_ _)m

かしこ♪

03.09.16