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 昼前の市井は賑わいを見せている。人々はそれぞれ足早に歩を進めたり、あるいはのんびりと進めたり。さまざまな表情を浮かべて、さまざまな思いを胸に道を行く。
 その中でも。
 警官と剣客の組み合わせに、道行く人々は必ず、彼らのほうへ視線を向けた。
 剣客の、華奢な細腰にはいた逆刃刀は、びかびかと陽光の中で光っている。人目を引かないわけがなく、武士のいない今の世の中では、異様に目立った。
 そう、目立たないわけがないのだ。
 ・・・つまり。
 警官ならば、廃刀令違反者として剣客を捕縛しなければならない。
 剣客ならば、刀を没収されないように警官から逃げなければならない。
 それなのに。
 二人は対を成すようにして肩を並べ、歩を進めていた。
 「いや〜、注目されてるよなぁ、俺達」
 岡崎ののんきな声音に、剣心はスッと距離を置こうと歩を緩めた。が、岡崎の手が伸びて剣心の腕を掴む。
 「なんだよ、気にしてるのか」
 「別に、気にしてなどいませんよ」
 「まぁ、どうやらお前はこの辺では有名人のようだから。警官の間でも暗黙の了解・・・みたいだしな」
 「ご存じなら、それでいいでしょう」
 「だからさ、みんな俺じゃなくてお前を見てるんだよ。剣客にしておくにはもったいない器量だからな」
 思わず剣心、腹の底から息を吐き出した。額に手を当てても見せる。
 「・・・そういえば昔も、そんなことをよくおっしゃって、からかってましたよね。まだそんな冗談をおっしゃるんですか? もう二十八ですよ、昔とは違います」
 「わかってるよ、そんなことは。それよりもほら・・・何が食いたい?」
 うまくはぐらかされて、剣心はため息をつく。
 「別になんでも。そこのそば屋でいいですよ」
 「・・・そういうところは変わらず無欲で、愛想がないよな」
 「余計なお世話です」
 淡々と返答を繰り返す剣心に、岡崎は苦笑で濁した。
 二人が入ったそば屋は、まだ昼前ということもあり客はいなかった。
 隅にある飯台へと腰を落ち着かせ、出てきた老爺にそばを二人前、注文した。
 「しかしまぁ・・・お前が洗濯やら買い物をしているなんて・・・かつての仲間が見たら驚くぜ」
 喉の奥で笑いを洩らしながら、岡崎は頬杖をついて剣心を見つめる。
 剣心は始終、眉根を寄せたままで正面から岡崎を見ようとしない。ただ、湯飲みに口を付けるのみ。
 「いつから東京にいるんだ、緋村」
 「・・・春先です。流れていたんですが、しばらく落ち着いてみようかと思いまして」
 「春先・・・といえば、あぁ、そうか。ニセ抜刀斎騒ぎの時だな? 聞きつけて東京へ?」
 「別にそういうわけでは。偶然ですよ」
 「確かあの時・・・そうだった、神谷活心流だったな、濡れ衣を着せられたのは」
 「それが縁で、神谷道場へ居候をさせてもらっています」
 コト・・・と、湯飲みを置くと。剣心はようやく、岡崎を正面から見据えた。
 「・・・で、岡崎さん。どういったご用件でしょう」
 蒼い瞳に宿る光の意味合いを判じながら、岡崎は唇をニヤリと歪める。
 「いつからそんなに、うまくとぼけるようになった?」
 「とぼけてなどいませんよ。むしろ、とぼけているのは岡崎さんではないんですか」
 「ふふ・・・言うなぁ、緋村」
 岡崎は湯飲みへ口を付けながら、言葉を続ける。
 「捕縛はしないよ」
 「え?」
 「こんなご時世だ、不満がある輩は腐るほどいる。俺には関係ないよ」
 「しかし、そんなことをすれば・・・」
 「馬鹿が。緋村だと言えるわけがねぇだろ」
 「・・・・・・」
 「だから言わない。昔のよしみだ」
 岡崎は一口、茶を含む。
 「仮にお前じゃなくても。お前が出張って止めたんだ、その思いを踏みにじるほど、俺は野暮じゃない」
 「・・・本当ですか」
 「信じられないのか」
 二人の視線がぶつかり合った。強い意志の塊が、見えないところでギリギリと押しあう。
 ・・・が。
 その競り合いから引いたのは、岡崎のほうだった。スッと目を閉じて、湯飲みへ手を伸ばす。
 「お前に会いに来たのは、ただの気まぐれだ。十年ぶりだぞ、懐かしくなって会いに行っても不思議はないだろう」
 「岡崎さん・・・」
 「俺は夜勤明けで疲れてるんだよ。そんな気を回す余裕などあるものか。お前と昼飯を食ったらまっすぐ帰って、そのまんま寝るだけさ」
 そう言って、くしゃりと笑った岡崎を、剣心はただ黙って見つめた。

 本当にそれだけなのだろうか。

 湯飲みを寄せながら、剣心は思いを巡らせる。
 ・・・かつて。
 ともに同志であった頃。
 仲間すら寄せ付けなかった自分に対して声をかけてくるのは、飯塚と岡崎くらいなものだった。
 長い付き合いとなったのはこの岡崎だが・・・常に笑顔を浮かべ、外へ連れ出したり、遊郭へ連れて行かれたり。さまざまなことを教えてくれた男でもある。
 日向を思わせる笑顔は居心地のよいものではあったが、反面、時折浮かべる唇の笑みだけは、どうしても好きになれなかった。
 そんな笑顔の時には何かしら企んでいる・・・だからこそ、心のすべてを許すことはできなかった。
 同志の中では一番、親しい男ではあったのだが。
 一番、疑わしく腹の底が見えない男でもあった。
 今もまた、その疑わしき笑みを浮かべている。

 昔と変わらない、この人は。

 運ばれてきたそばを目にしながら、剣心は心の中で確信する。

 何を考えているのかわからない腹黒さがある。
 こうして近づいてきたことも、何か理由があるに違いない。

 「ほら、食えよ。俺の奢りだ、遠慮なんかするなよ」
 豪快に笑って見せた岡崎に、
 「そうですか。それなら頂きます」
 と、素直に応じて箸を取った。
 「フン、そういうときははっきり言うよなぁ」
 「当たり前です」
 「やれやれ」
 苦笑した岡崎を見つめながら・・・

 昨夜の襲撃のこと・・・やはり第三者の存在を・・・左之助の存在に気づいているのか?

 可能性としては、否定できない。
 この男は、切れる。
 自分がどうしてあの場にいたのか、
 岡崎が探らないわけがない。
 なのに、問いただそうとしない。
 なぜなのか。

 ・・・しばらく、注意しておく必要があるな。

 剣心は黙って、そばを口へと運んだ。






 「面白くねェな」
 天井を睨み据えたまま、左之助はぼそりとひとりごちた。
 あれから半刻。稽古を終えた薫は昼餉の支度にいそしみ、弥彦は道場の床掃除に奮起している。
 今日の昼餉はとてつもなく、まずいものになるだろう。
 あの野郎さえこなければ、うまい昼飯にありつけたものを。
 脳裏に、先ほど訪れた警官の姿が思い浮かぶ。
 いけ好かない男だった。
 容姿云々ではない。なんというか・・・雰囲気が気に食わないのだ。漂わせている気配とでも言おうか。
 「顔は笑っちゃぁいたが・・・ありゃ、食えねェ」
 こちらを見たときの、あの眼。どこか炯々としていて油断がならなかった。今にも、腰に帯びているサーベルを引き抜いて斬りかかってくるのではないか・・・。敵意にも似た・・・いや、殺意にも似たものを左之助は感じていた。
 剣心のことだ、それくらいのことは気づいているはず。
 いや、気づいてなくても、何かしら妙なモンを胸ン中へ抱えてやがることぐらいは、気づいてるだろうな。
 そうでなければ。あの時・・・客人だと薫に呼ばれて帰ってきたとき、俺に問われて歯切れの悪い返答などしないはずだ。
 「剣心の野郎、俺にあの警官と引き合わせたくなかったのかもしれねェ」
と、呟いてから閃く。

 夕べのことがある。
 内務省襲撃、未遂に終わったが。
 もしかすると・・・

 「剣心・・・」
 急激に、胸の中が暗雲で垂れ込めた。
 重くて重くて、居ても立ってもいられなくなる。

 まさか、俺のことであいつ・・・!

 岡崎という警官と二人きりにさせてはいけないような気がした。
 よくわからない、妙な胸騒ぎ。
 左之助、縁側からガバッと飛び起きると中庭へ降り、厨にいる薫へ声をかけた。
 「嬢ちゃん、悪ィ、昼飯はいらねェや」
 「えぇー!」
 たすきがけをして張り切って支度をしていた薫が、思いっきり落胆の表情を浮かべて左之助を見やった。
 「どうしてよ! せっかく久しぶりに私が腕によりをかけて・・・」
 「本当、すまねェなぁ。ちょいと急用を思い出したんだ。約束があってよ、急いで行かなくちゃならねェ」
 「もう、せっかくたくさん作ってるのに・・・どうしてくれるのよ!」
 「また今度、この埋め合わせはすっからよ。悪ィな、嬢ちゃん!」
 言うや否や、左之助は勢いよく飛び出していった。
 その背中を、薫の落ち込んだ面差しがいつまでも張り付いていく。
 「どうしたんだよ、薫。そんな顔をして」
 手ぬぐいで汗を拭いながら姿を見せたのは弥彦。道場の掃除が終わったのだろう、やれやれと息をついて、水瓶から柄杓で水を飲んでいる。
 「ちょっと聞いてよ! 左之助ったら、急用ができたって出て行ったのよ! きっと私がお昼を作ったから逃げたんだわ!」
 「・・・そうか?」
 弥彦、小首を傾げた。
 「あいつのことだ、それならそのまま、声なんかかけないで出て行っちまうぜ。逆に、断って出て行くほうが珍しい・・・というか、何かあったんじゃねェのか」
 弥彦の指摘に、薫も首を傾げる。
 「・・・そう言われてみれば、そうね」
 薫と弥彦は互いに目を見合わせたが、答えが出るはずもなかった。
 二人が疑問を抱いた頃、左之助は猛然と駆け出していた。
 この刻限だ、もう昼飯を食っているはずだ、だが既に食べ終わっているかも・・・
 いろいろと思案を巡らせながら、思い当たる節を片っ端からあたっていく、店という店を。そうこうしているうちに、道を行く赤毛の姿が見えた。
 「剣心!」
 その声が聞こえたのだろう、ふわりと赤毛がなびいて振り返った。
 「左之」
 少し、目が丸くなったのがわかった。左之助が駆け寄ると、剣心が不思議そうに見上げてくる。
 「どうした、そんなに慌てて。何かあったのでござるか?」
 「何かって、おめェ・・・あの警官はどうした」
 「あぁ、別れたばかりだ。これから買い物をして帰ろうかと・・・左之?」
 仏頂面をして自分を見据えた左之助に、剣心は困ったように笑った。
 「どうしたのでござるか」
 「どうしたもこうしたもねェ! 俺ァ・・・!」
 言いかけて、やめた。
 じっと見つめてくる剣心を見ているうちに、自分が単なる取り越し苦労をしているだけなのではないかと思った。
 ・・・そうとも。内務省襲撃すら阻止した男だ。一人の男が決断したことだと、その点だけはわかってくれていた、だったら、もし俺がらみだったとしても、剣心は手出しや口出しはしないはずだ。これは左之助の問題だからと、首を突っ込むような真似は・・・
 いや、わからねぇ。
 いや? やっぱり・・・
 「・・・あ〜、もう! 何でもねェよ!」
 ふいっと顔を背けて、左之助は内心で毒づく。
 馬鹿みてェだぜ、俺。
 ガリガリと頭を掻いて、左之助は舌打ちをした。
 「左之」
 クツクツと忍び笑った剣心、一言こう言った。
 「すまん」
 苦笑いを浮かべている剣心を見て、左之助はこちらの胸の内を見透かされていることを思い知らされた。
 途端、ばつが悪くなる。
 「・・・おめェが、謝ることじゃねェだろ」
 「そうか?」
 「おぅ」
 「何も、聞かなくてよいのでござるか?」
 何気ない一言ではあったが、左之助の胸をきゅっと掴んだ。苦笑いで濁してはいるが、剣心の瞳は真剣な光を宿している。左之助はゆるい微笑みを浮かべた。
 「馬鹿が。俺が何を聞くってェんだ」
 「左之・・・」
 「おめェが話したくなりゃ、話せばいい。それだけのことよ」
 ポンっと剣心の背中を叩いて。左之助はにやりと笑った。
 剣心は少しく、目を伏せて。
 「・・・いい男でござるな、お主は」
 「なんだ、今頃気づいたのか? 遅ェんだよ」
 「遅いのではない、今まで言わなかっただけでござる」
 「おいおい、そういうことはいつでもどこでも言ってくれよ」
 「ご免被る」
 「なんでだよ」
 「お主のことだ、たちまちつけ上がるからな」
 「この野郎」
 自然、二人の間から笑いが洩れた。
 それまでの、どこか気まずげな空気はどこかへ流れ去り。
 そのまま、ゆらゆらと歩いて市井の中へと消えていった。


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