闇の中、ぽとんと落ちた明かりが一つ。
淡く、赤く・・・ジジ、と油を少しずつ燃やして、辺りに漂う暗闇を払う。
明かりは漆喰の壁と柱、そしてやや色あせた畳を・・・二つの人影を浮かび上がらせている。
一つは。肩にかけている「惡」一文字の半纏を。
一つは。赤い長髪を無造作に垂らしている、紺色の綿入れを。
互いに肩を並べ、その前に火鉢を置き。時折灰をつつきながら、片手はぐい飲みを握りしめている。
つと、「惡」の半纏が微かに揺らいで、鋼の腕がにゅうと突き出た。傍らに置いてあった徳利をむんずと掴み、揺らせばちゃぽん、と音がしたそれを、隣の赤毛へずいと差し出した。
彼の動きに、赤い髪の男は薄く笑みをこぼし、黙って己がぐい飲みを差し出す。
ト、ト、ト・・・。
徳利から注がれるその音を、赤毛の男・・・剣心は、つと瞼を落として聞き入った。
音が止んで、目を開けば。そこには満々とたたえられた酒の水面があった。
チラリと目を上げれば、漆黒の瞳がにやりと笑って見ている。
笑み、返して。
剣心はきゅぅと一気に飲み干した。
飲み干すなりコトン、とぐい飲みを火鉢の端へ置くと今度は、剣心が徳利を掴み上げ。
ト、トト・・・。
もう一つのぐい飲みへと注ぎ込む。浅黒い手に握られた、そのぐい飲みに満々と。
蒼い瞳で見上げれば、黒い瞳がキラリと光って迎え撃つ。
笑み、返して。
その男・・・左之助はきゅぅと一気に飲み干した。
左之助は既に寝間着姿、その上からいつもの半纏を羽織ってあぐらを掻いている。
剣心も既に寝間着姿、その上から綿入れを引っかけて片膝を立てている。
二人の背後には寝床があったが、まだまだ眠る気配はない。
無言のままに、静かなままに。
互いにぐい飲みを離さず、杯を重ね続けている。
左之助の腕が、無言のまま。徳利を手にして、剣心のぐい飲みへと注ぐ。
剣心は、満ちていく酒をじっと見つめながらふと、唇を開いた。
「・・・静かでござるな」
「あぁ」
左之助はゆるく相づちを打つ。
「静かすぎて・・・怖いくらいだ・・・」
そう言って剣心は視線を上げると、障子の向こうのまた、向こう・・・雨戸の外を思った。
今はもう如月の半ば、そろそろ春の兆しが見えてきても良さそうだというのに、チラチラと白いものが舞っている。
雪見酒と洒落込みたいところだったが、この寒さには到底敵わぬ。
男二匹がひっそりと。火鉢を囲んでの酒はいささか、寂しいといえば寂しいが・・・膝を交えての酒も悪く、ない。
「静かなのは、嫌ェか」
左之助の言葉に、剣心はゆっくりと首を振った。
首を振って、ぐい飲みを見る。
「嫌いではござらんよ。むしろ・・・この静けさを求めて、闘ってきたのでござるからな。お主だってそうだろう、左之助」
「あぁ」
「こうして・・・握る酒に、波紋一つ広がらない。あの頃は・・・こんな水面の酒など、見たことなどなかった。いつだって、ざわめいていた・・・」
落ち着いて酒を飲めることなど、ただの一度もなかった。
落ち着いて酒が飲めるなど、想像もできなかった・・・あの頃。
杯を握る手は、どれもこれも激論で揺れ、血飛沫で汚れ、砕かれてきた。
それが・・・
「・・・こんなに静かで、こんなに穏やかで・・・今でも時々、夢ではないかと思うときがある」
「剣心」
ふと、眉間にしわを寄せた左之助に、剣心は微笑を浮かべて見せた。
「慣れて・・・おらぬのだろうな、穏やかな静寂に。常にまとわりついていた喧噪が、緊迫感が、拙者の日常でござったから。あれからもう十年も経つというのに、な・・・」
喉の奥で自嘲をにじませ、剣心は火鉢に頬杖をつき。ザク、ザク・・・と、火箸を差し込む。
「フン、平和ボケしてりゃぁ人の気配なんざ気づかねェって。おめェなんざ、いまだに人の気配を感じ取りぁがる。慣れているわけがねェ」
「ハハ、それもそうでござるな」
剣心が徳利を持ち上げ、左之助へと差し出す。左之助はぐい飲みへ注がれる酒を見つめながらぼそり、言う。
「まぁ・・・それを言うなら、俺だって同類だろうけどな」
ぐい飲みの酒を・・・水面をしばし見つめてから。
左之助は小さく鼻で笑うときゅっと干した。
剣心は、何も言わなかった。
何も言わずにトクトクトク・・・空になった彼のぐい飲みを再び満たす。
行灯の鈍い明かりに光る酒を見ながら・・・剣心の、赤い唇がつと、開いた。
「・・・お主は、静かな酒は飲めぬ男だ」
「え・・・?」
「波紋を立たせ、ざわめかせねば気がすまんだろう」
不意に、ぐい飲みを握っている左之助の右手首を剣心は握りしめた。
その反動で満々と浸されていたぐい飲みは酒を逃がし、左之助の右手をしとどに濡らした。
ぽたぽた、と雫が左之助の膝へ落ちる。
「波紋が立つ前に拙者がいるのか、ざわめいた後に拙者がいるのか。どちらにしても・・・」
濡れた右手を取り上げて。剣心はその親指を己が唇へと誘った。深く、奥へと吸い込みながらも指先、手のひら・・・てらてらと光るそれを、丁寧に舐め取った。
猫のように目を細め、舐め取るその様に左之助の目は張り付いてしまった。彼の舌先から、瞳の輝き・・・吐息に至るまで目が離せない。
やがて、剣心は上目遣いでこう言った。
「これからの拙者の役割は、こんなところでござろうよ。なぁ、左之」
柔らかく、吸い付くような唇の感触に一瞬、我を忘れながら。左之助は、背筋をゾクリとさせてのど仏を鳴らせつつ、ニヤリと笑った。
「おめェがどこに出てこようが知ったこっちゃねェ。俺は、俺の筋を通すだけでェ」
「ふ・・・ふふふ・・・」
思わず笑いをこぼしながら、剣心は目を伏せた。
その笑いを、左之助はムッとしながら見つめる。
「コラ、なんで笑うンでェ」
「ふふ・・・まだまだ、左之助なんぞに負けはせんよ」
「この野郎」
「悔しかったらその時、拙者を倒すがいい」
「言われなくても、全力でおめェをぶっ潰す」
「それはそれは、頼もしい限りだ」
「・・・馬鹿にしてンのか、おめぇ」
「いや」
コトリ。火鉢の端へぐい飲みを置くと。
剣心はまっすぐに、左之助を見た。
「早く来い。この『惡』しか、拙者の目に映らなくなるようにしてみろ」
「!」
左之助の胸が、にわかに震えた。
唇が、自然と不敵な笑みを浮かべる。
「ヘ・・・ヘヘ、言われなくったってなァ、端からそのつもりなんでェ」
「そうか。それはいらんことを言ってしまった、すまん、左之」
「うるせェ。いちいち癇にさわる野郎だぜ」
「ふ・・・ふふふ・・・」
笑いをこぼし続ける剣心に、左之助も少しつられて笑みをこぼした。
が、
「オイ、あんまり笑うんじゃねぇ。いい加減にしねェと、今度は啼かすぞ」
「おろ、拙者を啼かすのでござるか? それはぜひ、啼かせてもらおうではござらぬか」
「何?」
「これほどの静けさの中で、声など出せようはずもない。母屋にまで響いたらどうする。悪いが、今宵は声を殺すよ」
「できるのかよ、ンなことが」
「為せば成る」
「言ったな」
やにわに左之助、己が腕の中へと剣心を抱きすくめた。綿入れを取り上げられて背後から抱きくるめられ、剣心は身動きが取れなくなる。だが、慌てた様子はみじんもない。
「おろろ、なかなかに手早いでござるな」
「余裕かましていられるのも今のうちだぜ、剣心」
「ふふ、誰が余裕など・・・」
少し、艶めいた息を吐いて。剣心は身体から力を抜いた。
それを合図に・・・
左之助の左手は、剣心の懐へ潜り込み。
左之助の右手は、剣心の裾を大きく割り。
左之助の唇は、剣心の耳朶を甘く噛みしだいた。
「左之・・・」
腕の中で確実に溶けてくる剣心の柔肌を、火傷をするような吐息で灼き焦がす。
しどけなくはだけた寝間着の合間から、白磁の肌が見え隠れする。
流れたままの赤毛が、乱れて肩へ散って。ふっくらと膨らんだ唇を、ますます鮮やかに彩って・・・蒼い瞳は、濡れていた。
「剣心・・・」
ゆるく唇を重ね、酒を味わうようにじっくりと含み。左之助はしばらく、その感触を楽しんだ。
「さぁ・・・覚悟はいいかよ、剣心・・・?」
唇を離した時。左之助は少しく自信を覗かせてそう言うと。
剣心は、くすりと微笑をこぼした。
「何の覚悟でござろうな? 拙者、啼かされるつもりは毛頭ないでござるよ」
「てめ・・・!」
「口上はいいから来い、左之。早く・・・やろう・・・」
語尾が掠れた。
途端、左之助の意識は剣心へと落とされた。
流れるように畳へと・・・褥へと身を横たえて。
薄闇の中、二つの肉体は淫らがましく絡み合った。
・・・闇夜に。
湿る声が洩れたかは・・・
絡み合う声音がこぼれたかは・・・
誰も知らない。
ただ知るのは・・・
ジジ・・・とゆるやかに火を落としていった、行燈のみ。
辺りは・・・
闇に閉ざされた。
了
背景画像提供:「MILK CAT」さま
http://m-cat.net/
ブラウザを閉じてお戻りください
m(_ _)m
拝啓
左之助の誕生日に合わせて・・・というわけでもないんですが(なぬ!?・笑)
しかも、どこかで一度は書いたような内容、出だしだったり・・・(そうだよね;;)
ま、ともかく(笑)。
久しぶりに、こう、ぽっと思い浮かんだものがあって一気に書き上げてしまった
一編です。なので・・・ちょっと・・・独りよがりなような気が、しないでもないような;;
いつでもどんな状況でも、黙っていてもお互いに考えていることがよくわかる。
そんなところが私にとっての萌えであり、私にとっての左之剣(//▽//)♪な
気がします(笑)。
なんだろう・・・余計な言葉は必要ない!といったような・・・言わなくてもわかるよ!
といったような・・・そんなモノです(笑)。
そういったものがうまく表現できたら・・・いいなぁと思う、今日この頃です(ふぅ)。
・・・しかし。
最近のうちの剣心・・・強くなったなぁ・・・(笑)
m(_ _)m
かしこ♪
06.02.14