タッ、タタンッ
調子を刻むような足捌きが耳に障る。
ひらり、ゆらり。
目の前を舞う赤毛が、忌々しい。
忌々しいが・・・
怒り、などという感情はなく。
そう、目障りとは思ってもただ、それだけ。
「闘い」を楽しむ左之助がそこにいた。
彼の拳は的確だ。
急所を確実に狙う。
が、いつもの肉を抉る感触はなく、あるのは虚しい空間。
いや、残像か。
それでも、左之助は間断なく拳を繰り出していく。
・・・初めて刃を交えて以来。
剣心とは背中を預けて闘う仲間となり得た。
これ以上のない、存在だ。
何事に置いてもすべて、自分の前に立ちはだかる。
立ちはだかり、目標を指し示し、暗たるところで「俺を越えろ」と咆吼する。
必ず越えてやる、と心に誓っている。
否、生涯をかけてでも、この男を越えてやると信念を抱いた。
・・・今。
自分はこの男にどれだけ近づけているのだろうか。
まだまだ遙か遠く・・・先が見えぬのか・・・
あるいは、一寸でも近づけているのか?
近づきたい・・・少しでも。この男に・・・「緋村剣心」に近づいて越えたいッ!
最強の男を、越えたいッ!
「左之。さっきから掠りもせぬぞ」
微笑を浮かべて身体を捌く剣心に、左之助も負けずにニヤリと笑った。
・・・負けるわけにはいかなかった。身体が拳で捉えられぬのならば、直にこの腕に捕まえてやるっ。右か左か、どちらかに山を賭けて・・・ッ
「そうかい? じゃぁ、これでどうだッ」
と、左之助の身体、剣心と同じ方向へ流れた。
「あ・・・っ」
気づけば、左之助の腕、背後から潜り込んで羽交い締めにしていた。
「捕まえたぜ、剣心ッ」
ギリギリと渾身の力で締め上げながら、ニヤリと笑う左之助、
「さて・・・それはどうでござるかな」
満面の笑みにて返されて、
「何ッ?」
途端、剣心の感触が身の内から消失、
「グハッ!」
左之助、もんどり打って倒れてしまった。
巧みに摺り抜け出た剣心は、手のひらにて左之助の顎を力一杯、天へ向けて叩き込んだのだった。
わずかに身体を曲げての、反動を利用した一撃。
小柄な体格を最大限利用しての思わぬ反撃に、左之助は面食らった。
ゴホゴホと軽く咳き込み、立ち上がる左之助を尻目に剣心、にわかに袷を正しつつ・・・
「これで何撃目でござろうな? えっと・・・」
「数えんで、いいッ」
「そうか? 拙者は数えてみとうござるなぁ。一つ、二つ・・・」
「てめェッ」
カッと血が上ったと同時、左之助は満身の力で剣心に殴りかかっていた。
ヴンっ
が、自信に満ちあふれたその一撃は、虚しく空を切り。
ぎょっとして、懐を見る。
赤毛の微笑があった。
「ガッ・・・!」
鳩尾に、鋭い痛み。
立てッ!
薄れゆく意識の中で、左之助は自ずとそう、叫んでいた。
が、それは言葉にならず、
「グ・・・っ」
情けないほどの呻き。
自分の身体が脆くも崩れていくのがわかった。
赤毛の微笑と高い天井、そして・・・冷たい床。
背が、固い感触に捕らわれた。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ」
息が上がっている。
汗も夥しい。
左之助は・・・立ち上がることを、やめた。
「大丈夫か? ・・・左之」
大の字に転がってピクリともせぬ彼を、剣心は不思議そうに覗き込んだ。
・・・俺がこいつを捕まえられたのは、実力でもまぐれでもなくて・・・
剣心が俺に・・・合わせてくれたンかな・・・
もし、そうだったらば。
・・・いや、考えるのはよそう。そうだったとしても、自分はこの男に完敗することは目に見えていたのだから。
脳裏によぎった思いを打ち消して、ゆるやかな微笑の浮かぶ赤毛の人を、左之助は笑顔で受け止める。
「やっぱ・・・おめェには敵わねぇなァ」
「いや、お主も十分強いでござるよ」
「けどよ・・・俺よりも力がないくせに、的確な急所を突いてきやがるから、見ろ、このザマだ」
剣心は、クスクスと笑いながら傍らへと腰を落とした。汗を滲ませ、呼吸を整えようとしている彼をじっと見つめる。
が、剣心の面差しには雫の一つも輝いていないのだから、忌々しいと言えば、やはり忌々しい。
「でも・・・初めてでござるよ、こんなに・・・楽しく闘ったのは」
「剣心・・・」
「今まで・・・命の賭けあった、生死の狭間での闘いばかりで・・・闘いの中に、こんな楽しみが潜んでいようとは思わなかった・・・」
剣心はゆるやかに微笑した。はちまきを巻いた額へと手を寄せつつ、突っ張った前髪に触れつつ・・・
「お主は本当に、珍しい男でござるな。拙者に・・・このような思いをさせるとは・・・。不思議な奴・・・」
「おいおい、さっきから珍獣扱いかよ?」
さすがの左之助も苦笑を禁じ得ない。ふっと吐息をこぼして完全に呼吸を整え・・・上体を起こし。
「もっと別の言い方はねェのか、剣心」
「さあ? どうでござろうな?」
「てめェ」
ふわり、剣心の身体、宙を舞ったかのようにあらゆる力、奪われた。
ダンッ
という衝撃は、背に押しつけられた道場の床。
「おろろ」
はにかんだ笑みで見上げると左之助の、覗き込んでくる瞳は真剣そのもの。
「俺を舐めてっと、痛ェ目に合うぜ」
声、床を這い。
「痛い目? それはいかなるものでござろうな?」
声、空を舞い。
「剣・・・っ」
「こういうこと・・・でござるかな」
剣心の柔らかな笑みが一変した。
左之助すら初めて見た、笑み。
と、
「うわッ?」
視界に映ったのは、逆さまになった道場内。上が床で、下が天井。
即ち、
「ガッ!」
新たに全身へ走った激痛に、左之助は思わず顔をしかめた。
わずかに胸も潰され声も出ぬ。
「どうした、左之?」
満面笑みを浮かべた剣心が、赤毛を揺らして再び覗き込んできた。
この時初めて、自分が投げ飛ばされたことを知り、左之助は怒り浸透した。
「て、め・・・ッ!」
しかし、雑言を吐こうにも呼吸がままならず、言葉が出ない。受け身を取る余裕もなかったのだ、当然といえば当然の結果である。
自らの情けない姿に歯がみをしつつ、今の左之助には剣心を睨め付けること以外、何もできなかった。
「さて、拙者は洗濯物でも取り込むでござるかな?」
カラカラと軽く笑って、立ち上がれずにいる左之助をそのままに、剣心は悠然と道場から姿を消した。
悔しいのは左之助、結局床を味わったのは自分だと腹が立ったが・・・スッと力が抜けた。
「・・・ま・・・仕方ねェやなァ・・・」
まだ、自分は剣心には敵わない・・・足下にも及ばないのか・・・。
少しは強くなったつもりではあったが、まさしく「つもり」であったと知って左之助、少々気を落とし・・・。
されども。
「ヘッ・・・今に見てろよ。必ずあいつを越えてやるからなッ」
新たな思いと決心を胸に、左之助は床に大の字となる。
・・・冷たくも固い感触が存外心地よく、火照った身体と心をやさしく癒してくれて・・・。
左之助は、じっと天井を睨み据えていた。
瞳に爛々とした意思を宿して。
その後・・・しばし。
「おーい、左之っ。お茶を煎れたゆえ、こちらへ来ぬか? まんじゅうもござるぞーっ」
剣心の、恐らく中庭からであろう呼ばわる声に、
「あぁっ。今行く!」
と反射的に返事をしてしまった瞬間、
「俺も・・・まだまだだよなァ・・・」
思わず苦笑を浮かべ、漆黒の髪の毛を掻きむしった。
大の字であった長身が軽やかに弾み。
ふわりと宙を舞うかのように立ち上がって・・・やがて、道場からは人の気配は消えた。
道場内はもとの静けさを取り戻し、
熱を孕んだ空気もまた、ゆるゆると冷たくなり・・・動きを止めた。
空間、
次なる荒ぶる魂を求めながら・・・
静謐にて、待つ。
了
拝啓
今作は、「オールナイト」さまへ寄稿させて頂いた「敵わぬ男」の別ヴァージョン・・・いわば、「もう一つの敵わぬ男」といったところでござりましょうか(^^;)
本家本元が「やおい(でもほんのちょっぴり・笑)」であることに対し、こちらはそういう要素を省いて構成した物語でござりました(笑)
本家の「敵わぬ男」をベースにノーマルヴァージョンを書くに至っては、実は色々とあったのでござるが非常に、楽しみながら書いたことを覚えているでござるよ(笑)
仕上がったのは10月(02’)ではないかと思うのでござるが・・・既にもう、覚えておりませぬ〜(^▽^;)
まぁ、こういうのもありかな?といった具合にお楽しみ頂ければ幸いでござりまする(^^;)
・・・今作を、我がメル友であるその愛娘・娘子殿へ捧ぐ・・・♪
かしこ♪