褥 



 ふっ・・・と息を吐いて。
 ゆるり・・・目を開き。
 軽く息を吸い込み視界、鮮明とさせて。
 視点を定めた・・・暗闇の中。
 一瞬、目の前にあるものがわからなかった。

 何だろう・・・

 もぞもぞと腕を持ち上げてそっと・・・指先を伸ばしてみる。

 あぁ・・・。

 すぐに、それを理解して瞳、あげれば・・・

 左之助・・・。

 素肌。
 胸乳。
 温もり・・・。
 指先から伝わる、じんじん・・・と。

 「左之・・・」

 呟いて。頬を・・・擦り寄せる。
 温かい・・・じわり、じわり・・・
 耳朶を押しつける・・・ドクン、ドクン・・・力強い鼓動。

 ・・・生きている。

 当然のことなのに・・・嬉しく思ってしまう、心底。

 生きている・・・

 腕を、絡ませる・・・鍛え抜かれた鋼の塊に。
 肌を寄せて身を縋らせて・・・しがみつく。

 この命にしがみついていたい・・・

 胸乳に口づける、小さく・・・華を刻む。
 いくつも・・・いくつも。

 「はぁ・・・左、之・・・」

 舌を伸ばし、ぞぉろり舐め上げ・・・
 陶然と、酔う。

 ・・・と、ぽつり。胸に浮かんだ・・・

 この身の魂は純真だ。
 されども・・・
 己が身は汚れた魂・・・

 これは・・・

 求めてはならぬものか・・・手にしてはならぬものなのか?
 触れては・・・ならぬものなのか・・・

 ほど遠い存在、ほど遠い・・・男・・・
 眩くも、純なる・・・

 居てはならぬ、側に。
 自分は、この男の側に居てはならぬのだ・・・ッ
 触れてはならない、汚してはならない・・・ッ!

 離れなければっ。

 自分でも信じられぬほど、身体は瞬発的に動いた。
 ザッと上体を上げれば、バサリと掛け布団が落ちて。
 はだけた肌に冷気が襲い、
 咄嗟に胸元を合わせながら爪先、畳を踏んで。
 襦袢の裾を翻させて右手、障子にかかったその折りに。

 「どこへ行きやがる」

 野太くもしっかりとした声音、空を斬った。
 ピタ、剣心の動きは止まって面差し、サッと背後を振り返っていた。

 「小便だ・・・何て、言うなよ」

 もそりと身体を起こし、一つ大きくあくび、胡座をかいて男・・・左之助はじろりと剣心を見上げた。

 「ならば・・・何と言えと? お主の言う通り、憚りでござるよ」
 「嘘だな」

 わずかな逡巡すら見せず、左之助はきっぱりと言い切った。
 引き締まった肉体を闇夜に晒し、照れも臆面もなく、まして局部を隠そうともせずに左之助は、瞳に強い輝きを宿して彼を見据える。

 「なぜ、嘘だと・・・」
 「目が泳いでるぜ、剣心」

 にやり、影を刻んで口元が笑った。
 剣心は継ぐべき言葉を見つけられずに、ただただ左之助を見つめてしまった。
 図星を刺されて、言葉が見つからない・・・
 指先が、戦慄いた。

 「どこへ行くつもりだった」

 「・・・・・・」
 「夜明けにゃ、まだ早ェだろ。朝飯の支度にはまだ早すぎる。・・・嬢ちゃんだって、起きちゃいねぇだろ」
 「・・・・・・」
 「黙りを決め込んだって、俺にはおめェの考えなんざ、お見通しなんだよ」

 つと、右腕を上げてチョイチョイ、指先で彼を招いた。
 が、剣心は動かない。小さく、目を伏せたまま。

 「ほら・・・来いよ。おめぇの負けだ、剣心」
 「・・・・・・」
 「・・・来ねェなら・・・こっちから行くぜ」

 ガバッと左之助、立ち上がった。
 一糸纏わぬ姿、闇に映え。
 剣心、肌を震わせて顔を伏せるなり、障子を開こうとしたその矢先、
 背後から左之助、隆たる両腕を伸ばして容易く、剣心をくるみ込んでしまった。

 「あっ」

 喉を潰したような小さな声が、ぽっと響いて。
 だが掻き消すように、左之助の腕は剣心の身体を強制的に褥へと連れ戻した。

 温もりが、象牙の肌に甦る。

 「・・・捕まえた」

 ぼそりと洩らした声・・・吐息が、剣心の頭上を掠めた。

 「どこにも行くな、剣心」

 彼をぐっと深く己が胸に押し込め、左之助はそう言って。

 「俺は、おめぇのモンなんだよ・・・わかるか?」
 「左之・・・」
 「おめぇは、俺のモンだ・・・そうだろ」
 「・・・・・・」
 「おめぇのこった、どうせ、自分は左之助とは釣り合わない云々、考えてやがったんだろう」
 「左・・・」
 「馬鹿野郎が」

 左之助は、わずかに肌を離すなり剣心を組み敷いた。
 真上から蒼く染まる瞳を覗き込みながら、左之助は密やかに笑う。

 「ヘヘ・・・今更離れられるかよォ・・・俺もおめぇも、よ」

 無骨な指が、するりと剣心の柔なる内股を掠め取った。
 ぶわり、象牙の肌が粟立ち剣心、つい息を止める。

 「おめぇが考えている以上に、俺とお前は深く結びついちまってる・・・。離れられるわけがねェ・・・」
 「左・・・ぁ」

 耳朶に寄せられた唇の気配に、剣心は瞼を閉じて微睡む。
 我知らず喉を鳴らし、生唾を飲み込む・・・
 その反応に、左之助の声が妖しく掠れた。

 「ほおら、みろ・・・俺に抱かれるんじゃねぇかって、期待してんじゃねぇか・・・」
 「さ、左之っ」
 「こんな淫らなおめぇが、俺から離れられるわけがねぇだろ・・・?」
 「・・・ッ」
 「馬鹿なこと考えてねぇで・・・おめぇは俺の側にいりゃぁいい。昼間は仕方がねぇが、夜だけはおめぇを離さねぇぜ」

 不敵に笑んだ表情が、何とも憎らしいほどに心地よい・・・
 この男は、どれだけ自分の心を浸食すれば気が済むのだろう。
 もう・・・できるだけ、この男には深入りしたくはないというのに・・・
 これ以上・・・溺れてはならぬと思うのに・・・
 心が・・・飢えた咆吼をこだませて左之助を、欲しがる。

 「ふっ、う」

 唇が重なる、奪われる。
 唇が開かれる、侵入される。
 不規則な呼吸、十字傷を汚し。
 剣心は・・・瞼を半分降ろしてしまう。

 鼻腔をつくのは、滲み出してきた汗の匂い。
 陽の光を浴びて焼けた肌、浅黒く滲んで隆起して。
 蠢く肉の動きを薄闇に透かし、剣心はうっとりと・・・

 きつく抱きすくめられた肉体が、軋みを覚えて悲鳴を上げる。
 肺が潰れるほどの膂力に、剣心は絶え絶えの呼吸をするしかない。
 それなのに・・・

 「あぁ・・・左之・・・っ」

 求められて肌を寄せられ、歓喜の声を上げてしまう。

 肌をなぞる唇が、
 肌を走る指先が、
 身体の芯から震えを起こしてびりびりと痺れさせ。
 悶えてこぼれて、声を落とす。

 「ンっ、あッ、あッ、左之ッ」

 四肢は闇夜に白く映え、
 時に縋り、時に詰り、
 肌を蹂躙せんとする逞しい肉体を、
 爪を立てて微かなる抗いを見せる。

 「クッ・・・ぁ・・・」

 背に滲んだ赤い水、
 汗と合わさり美なる酒へ。
 白魚の指先かすめ取り、
 無意識に、びっ・・・
 己が唇に差して見せた。

 「左之・・・っ」

 赤い唇が、艶として男の名を紡いだ。

 「・・・やれやれ・・・」

 スッと面差しを上げて左之助は、小気味よいばかりの苦笑を滲ませた。
 先ほどと打って変わったこの媚態。
 これではいったい・・・

 「どっちが食われてンのか、わかりゃしねぇなぁ・・・」

 漆黒の髪を軽く掻いて見せつつも、
 頤から雫をぽたりと落として笑う顔たるは、
 まんざら、嫌でもないらしく・・・
 喉の奥で忍びやかに笑い、止めた。

 高くも低くも、二つの吐息は絡み合う。
 室内、闇の空気に溶け込むばかり。
 眩い光が奥を射すのはいつになるやら。
 その刻限まで・・・一つの褥、二つの肉体、もんどり打って絡み合う。
 心と心、想いと想い、内なるものまでが絡み合って、溶け合って・・・
 見えるのは。
 互いの瞳、互いの肌、互いの・・・欲の炎。
 それらを垣間見る者の存在はなく、
 ただ、
 褥、
 濃厚なる時を、刻むばかりなり。




     了





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m(_ _)m

・・・「褥」を快く、拙宅でアップしてよいと許可して下さった櫻飴総湊殿へ、心より感謝を・・・
この作は、櫻飴殿へ捧ぐ・・・