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聖なる夜、甘き睦言



 ・・・冷笑を浮かべた風の乙女は。
 ゆるやかに肢体をしならせ、行き交う人混みの中へと紛れ込んでいく。
 己が指先に、幾多の言葉や感情を掠めさせ。
 己が瞳に、様々な面差しや姿を捉え。
 自分が傍らを抜けていくたび、彼等は肩を竦め、身を竦めた。
 それがとても面白くて、乙女は何度も何度も、その大通りを往復してしまう。
 ・・・と。
 乙女の存在などまったく知らぬ存ぜぬかの如く。
 颯々たる足取りは、雑多のある人混みの中でも淀みなく。
 むしろ、気配すら感じさせぬほどその足取りは密やかに。
 両腕を懐に忍ばせ、まっすぐに眼差しを据え置く姿は飄々。
 襟巻きとともに、束ねられた赤毛が背中でゆらり・・・ゆらりと身をくねらせる。
 無数の人の中にありながら、とりわけ赤毛という特徴を備えていながら、小柄な体格が幸いしてかさほど、目立つことはない。
 そんな、奇異な存在とも言うべき男の姿を瞬く間に探し当てた、長身の男がいた。
 「よぉ、剣心。冷えるねェ」
 背後から突然声をかけられたというのに、赤毛の優男は一向、動じた風を見せない。そればかりか、彼のほうなど顧みることなく流暢な物腰で返答する。
 「ああ。これはもしかすると、雪になるやも知れぬなぁ」
 歩みを止めることなく、優男はにわかに空を見上げてそう言った。
 空一面が、ものの見事に灰色であった。昼間であるというのに、この薄暗さは少々気が滅入りそうだ。
 「どこに行くつもりでぇ? 結構、今日は人が多いぜ」
 「買い出しでござるよ。薫殿に頼まれたゆえ」
 「買い出し?」
 「味噌に醤油に大豆、それから・・・」
 「・・・何でそんなに重いものばっかり・・・」
 「仕方ござらぬよ」
 苦笑混じりに優男はようやく、長身の男を顧みた。
 爛々たる瞳が、微々たる喜悦で染まっている。
 「そろそろ大晦日が近くなってきた。今から買い出しをしておかぬと、後で困ったことになりかねない。早めに準備を始めても、なんら損をすることはなかろう?」
 「そりゃま、そうだが・・・」
 言葉を続けようとしたとき、ヒュッと一陣、風が舞い込んできた。
 氷が宿ったかのような冷たさに、長身の男は思わず肩を竦めて懐深く、手を突っ込んでしまう。
 と、そこに何やら触れるものがあって彼は画然、思い出した。
 「ところでよ、剣心」
 長身の男は、懐から一枚の紙切れを出すと優男へと差し出した。優男は、それまで進めていた歩をふと止めて、そのしわくちゃになってしまった紙切れを手にする。
 「何・・・『クリスマス』・・・?」
 それは、今宵行われるキリスト教徒による、聖なる式典の知らせだった。
 長身の男とあまりに似つかわしくない内容に、優男はあからさまに不思議そうな顔をして見せた。
 「さっき、そのへんで配ってたからちょいとばかり、もらってきたンでぇ。ほら・・・ここンところに『祭り』って書いてあるだろ? 楽しそうだからさ、行ってみねぇか」
 「左之・・・どのような『祭り』か知っておるのか?」
 「いいや、ぜんぜん」
 彼の素っ気ない、はっきりとした返答に優男、思わず満面に笑みを刷いた。
 「祭りは祭りでも、左之の性に合うものではござらぬよ。ただただ、祈るのみでござるから」
 「へ?」
 「今宵は、キリストを崇める者達にとって特別な夜。キリストが生まれた夜でござるからな」
 「つまりは・・・誕生祝いか?」
 「単純に言えばそうなると思うが・・・『クリスマス』という言葉が、祭りそのものを指し示すものでござるからなぁ。左之の思っているような『祭り』ではござらぬよ」
 途端、長身の男はさも、面白くなさそうに息を洩らした。
 祭りと聞けば、全身の血が騒ぐのである。どのような催し物をするのか、いささか興味に駆られていただけに彼の落胆ぶりは甚だしい。
 百面相のように次から次へと繰り出す男の面差しを優男、微笑ましそうに見つめていたがつと、視線が彼から逸れた。
 「・・・おろ? やはり、降ってきたようでござるな」

 ひらり、ひらり、ひらり・・・

 白い淡き者が、小さな身体を舞わせて降りてくる。
 そっと手のひらをかざせば、あっという間に溶けてなくなってしまう儚さに、優男は我知らず吐息を吐いていた。
 「このぶんでは、おそらく本降りとなってしまうでござろう。早く、買い出しを済ませて帰らねば」
 「・・・俺も、手伝ってやろうか?」
 「そうしてくれると、ありがたい」
 屈託のない笑みを浮かべると、優男は先だって歩き始めた。慌てて、長身の男は彼の背を追いかける。
 「あー、それにしたって面白くねぇな。ちょいと変わった祭りが観られると思ってたってぇのによ・・・」
 鼻息荒く、口中息巻く長身の男。
 赤毛を揺らめかせ、静かに歩みを進める優男。
 「・・・・・・左之」
 「ん?」
 ふと。優男の声に長身の男は眼差しを落とす。自分よりも背丈の低い彼は、こちらを仰ぎ見ることなく歩を進めたまま。・・・赤毛の後れ毛、風に揺れ。
 「祭りのかわり、と言っては何だが・・・今宵、雪見酒としゃれ込まぬか」
 突然の申し出に、長身の男は一瞬、面食らった。だが、端から断る理由などありはしない。彼は困惑しつつも、唇は正直な言葉を滑らせていた。
 「いいねぇ。久しぶりに差しつ差されつ、酒でも飲むとすっか!」
 この時、優男は初めて彼を見上げた。
 満面にほころんだ柔らかな笑みが、長身の男に向けられていた。






 開け放した障子の向こう。
 何もかもが、白く染め抜かれていた。
 植木すら、屋根すら・・・物干し台ですら。
 純白の綿布団に身を委ねている。
 音、一つない。
 静謐なる空間。
 優雅に舞い降りていた白い花びらすらも、今は静かな眠りについている。
 パチッ。
 音の存在を許さなかった空間に、何かが爆ぜた。
 ・・・火鉢だ。
 座敷の中央に据え置かれた火鉢。
 赤く、皓々と、燃えている。

 カツン。

 小さな、何かがぶつかる音。
 銚子と杯のぶつかる音。
 杯は、薄い唇へと吸い寄せられ。
 酒は、惜しげもなく飲み干された。
 細い喉を伝い・・・コクリ、喉仏が動く。

 「・・・静かでござるな」
 「・・・あぁ・・・」
 細い指先が銚子を取り、向かい合う男へと差し出す。
 男の手にはやや小さすぎると思えるほどの杯に、優男はトクトク・・・酒を注ぐ。
 「こういう夜も、たまにはいいな」
 杯を干し、男はニヤリと笑う。
 優男もまた、微笑を浮かべた。
 夕食を済ませ、湯を浴びて。剣術小町と少年が部屋に入ったのを見計らい、二人は酒盛りを始めた。
 火鉢を持ち込んでの酒盛りだ。酒盛りといっても二人で静かに飲んでいくだけのこと、肴すらない。否、肴は・・・雪景色。
 「クリスマスなんざどうでもいいが、こういう景色を拝ませてくれるなら、ありかもしれねぇ」
 「あぁ・・・同感でござる」
 縁側に広がる景色に視線を送り、優男は薄く笑んだ。

 ・・・赤毛が。

 火鉢と行燈の明かり加減でますます赤く、映えた。色を透き、その下の肌までも見えてしまいそうで長身の男、心なしか胸を高鳴らせてしまう。

 ・・・優男の。

 唇が、杯へ寄せられるたびに。
 前髪が、さらりと落ちるたびに。
 後れ毛が、肩を掠めるたびに。

 男の鼓動は熱く胸を打つ。

 視線が、離せない。
 彼の一挙手一投足、いかなる仕種も見逃せない。
 息が・・・詰まる。
 詰まって、どうにかなりそうで、
 俺は・・・

 「・・・どうした、左之?」
 こちらに瞳を向けられて、慌てて男は目を閉じた。朱に染まってしまったであろう頬を見せまいと、さらに顔を伏せる。
 「いや・・・別に。何でもねぇ」
 にわかな狼狽を隠すように口ごもりつつ、彼は銚子を手にすると優男へと差し出す。

 カツン。

 何度目だろう、この音を響かせるのは。
 ・・・注ぐ酒。
 ・・・注がれる酒。
 優男、クイッと干し・・・銚子を手にする。
 ・・・注ぐ酒。
 ・・・注がれる酒。
 長身の男、クイッと干し・・・ながら、優男をじっと見つめている。
 両の瞳が、瞬きすることなく微笑んでいる。

 なにゆえか。
 長身の男・・・口中、酒もないのに喉仏、コクンと動いた。

 「・・・なぁ」
 「ん?」
 つと。
 杯を傍らへ置くと、彼はやや目を伏せて言った。
 「もっと・・・こっちに来いよ」
 ためらいがちな彼の口調に、優男が視線をあげると漆黒の瞳がまっすぐ、自分を見つめていた。

 静かでありながら、その奥に秘めたる情熱の炎。
 ・・・優男は返事を呑んで一瞬、目を伏せた。

 「火鉢があるって言っても、酒があるって言っても・・・寒いだろ?」
 「それは・・・」
 「・・・誰も、見てねぇぜ」
 彼の最後の言葉に、優男の心がぐらりと揺らいだ。
 伏せていた眼差しをあげれば、変わらぬ視線、そこにあり。
 ・・・優男、小さく頷き・・・
 赤毛をゆらめかせ、すっくりと立ち上がった。
 足の裏を擦るように移動すると、長身の男の傍らへと腰を落とす。
 「これで、良いでござるか?」
 「いや、駄目だ」
 男は断言するとやおら、己が両腕、優男へ伸ばした。
 あっと言う間もなく、優男の腰には逞しい腕が絡みつき・・・

 気がつけば、背後から抱きすくめられていた。

 はぁっ・・・
 と、項の辺りでため息をつく男の、生々しい感触に優男、
 思わず漏れ出そうになったあえやかな声をかろうじて、噛み殺した。
 「な・・・にを・・・するでござるか」
 反論の言葉を投げるものの、気迫の一片すら感じさせない。
 「こうすりゃ、あったかいだろ・・・?」
 低い声、這うように。
 ジン・・・・と、身体の奥が痺れを覚える。
 「だからといって・・・」
 「固いこと言うなよ。せっかく・・・俺達だけだってぇのに、よ」
 優男、冷然と耳元で囁かれどこかの芯がストン、抜け落ちた。
 なんとか全身に力を入れようとするが、口を開くことすらままならぬほど、彼の中から何かが突然消失してしまった。

 「さ、の・・・」

 理性とは裏腹、
 唇、わななき・・・
 ガックリと、
 心ならずも長身の男へと身体を預けてしまった。
 頭を彼の左肩に寄せて。
 「こいつぁ・・・絶景だぜぇ・・・」
 頭上でこぼれた彼の言葉に、優男は再び視線を縁側へと向けた。
 音のない空間、無の空気、白き光景・・・

 「このような雪景色・・・なかなか見られぬよ・・・」
 「違う、剣心」
 「・・・?」
 「おめぇが、絶景なんだよ」
 「え・・・?」

 長身の男、眼下に広がる光景は。
 ゆるく膨らんだ懐から垣間見える、白磁の肌・・・胸乳。
 淡く色づいた花、二つ。

 頭上で。
 はっきり、喉が鳴ったのを聞いた。

 「・・・!」
 男の指し示す意味を悟って優男、胸元を両手で素早く覆った。
 が・・・
 長身の男の指先、項から指先を滑り込ませた。
 襟に引っかけられ右へとするり・・・それは肩口を滑り落ちてしまった。
 微かな、衣擦れの音をさせながら・・・。

 薄闇に。
 なだらかな曲線、浮かび上がり。
 震える吐息、空気に染まる。

 「いいねぇ・・・この稜線、食い尽くしてェ・・・」
 呟くように言いざま、優男のさらけ出した肩を遮二無二むしゃぶりついた。
 開かれた唇、踊り荒れる舌。
 「さ、左之っ・・・!」
 生温かな感触とともに、肌を通して伝わってくる男の情欲に、優男はあっさり、気をやってしまいそうになって慌てて引き止める。
 「駄目だ、左之・・・そんな・・・」
 「聞けねぇな」
 右の腋下、袂を潜り抜けて男の手のひら、顔を見せた。
 無骨なる指先が露わになった肌へと滑り、這い、よじ登って・・・
 小さく咲き誇る花へと触れた。
 「あ、ぅっ」

 唇より放たれた、か細き声音。
 長身の男、唇に笑みを滲ませた。

 「剣心・・・」
 ゆるゆると。
 男の唇は這い登っていく、首筋へ。

 優男は息を詰めた。
 クッと、瞼を閉じ。
 唇を閉じるが、何かが解放されそうで恐ろしく、きつく噛み締め。
 ・・・一筋、悪寒が走った。
 肌、震え。

 「・・・剣心・・・」
 「は、あぁ・・・ッ」
 再び耳朶で囁かれ、優男は詰めていた息を一気に吐き出してしまう。

 頬が、熱い。
 肌が、身体が・・・沸騰しそうだ・・・ッ。

 「湯上がりの肌はいいねぇ。たまらねぇ匂いがする・・・」
 「な、何を馬鹿なこと・・・」
 「本当のことだぜ? 本当に・・・イイ匂い・・・」
 「み、耳元で話す、な・・・っ」
 「どうしてでェ?」
 声音に滲んだ嘲笑に、優男の全身、カッと血が上った。何らかの反論を試みようとするのだが、一寸ばかり遅かった。
 優男の耳朶の中へと、長身の男は自らの舌を差し入れたのだ。
 「はっ、ああぁぁ・・・」
 たまらず、優男はため息のような喘ぎを洩らした。無沙汰になっていた両手、無意識のうちに空を掴む仕種をする。
 その間にも、男の右手は花びらを散らすように弄り続けている。
 「あっ、あぁ・・・左之、やめっ・・・」

 抗いのはずが抗いではなく。
 それは、男の情欲をいっそう煽る薪でしかなく・・・
 それすら気づかぬほど、優男の理性はゆっくりと、確実に浸食されていく。

 「剣心・・・剣心・・・」

 男の声が、脳を犯して心をも犯し始める。
 恐い。
 これ以上、この男の声を聞き続けていると・・・

 「い、嫌だ・・・やめろ、左之・・・ッ」
 「嫌だね。やめねぇよ」
 「これ以上・・・続けたら・・・」
 「どうなるってンでぃ?」
 問答を続けながらも、男の動きは絶え間なく、隙がない。
 右手が花を弄っているその傍ら、左手はいつの間にか優男の下腹部へと伸ばされていた。帯を解き、前をはだけ、下帯を晒し・・・今にも解こうと狙い澄ましている。
 彼の動きを察知して、優男の腕が制止に入る。が、心なしかその膂力の存在を感じないのはあながち、気のせいではあるまい。
 「・・・どうなるってんだ? 剣心」
 先を促しつつ、左手が下帯に触れた。
 ビクン、優男の背中はしなり、天を向いた唇からこぼれる、名。
 「左之っ・・・」
 満足そうに微笑みながらしかし、男はあくまでも答えを欲する。
 「教えてくれよォ・・・剣心」
 「左之・・・こ、このままでは・・・」
 呼吸を乱し、男にしがみつきながらも優男、何とか返答しようとするが全身が上気してしまって思うようにならない。

 眩暈が・・・酷い・・・


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