[     3 ]

 夕餉も終わり。湯浴みも済ませた宵の刻。
 左之助は剣心の私室にいた。
 ぴっちりと障子を閉めてはいるが、どこからともなく夜気が忍び込んでくる。
 左之助は、湯で温まったはずのその身体、ぶるりと一つ、震わせた。
 着慣れている惡一文字の半纏は今、纏っておらず。薫から借りた、浴衣を身に纏っている。
 壁に身を寄せて・・・じっと、目を見張り。
 片膝を抱え、彼は息を詰めるようにしてそこにいた。
 反対に。
 剣心は、部屋の中心よりやや壁寄りに座している。
 正座し、目の前に置いてある逆刃刀を見つめていた。
 行灯の明かり、ぼんやりと。浮かぶ面差し、ほんのりと上気して。
 「・・・左之助」
 ぽつり。
 剣心が微動だにすることなく口を開いた。左之助、無言で見つめ返す。
 「左之助、約束してほしいことがある」
 「・・・何だ」
 「拙者が手入れをしている間は、絶対に話しかけないでくれ、動かないでくれ」
 「・・・どうしてでェ」
 「・・・逆刃刀と語らっている時には、あらゆる念を取り払っていたい。後生だから、左之助・・・動かず、黙って見ていると約束してくれまいか」
 剣心の申し出を、断るわけにはいかなかった。もし断れば、この場に居ることなど叶わなくなるだろう。
 左之助、
 「わかった」
 と一言、頷いた。
 「かたじけない」
 剣心、柔らかく・・・安堵したように微笑し、逆刃刀へ視線を戻した時にはもう、表情はなく。
 ・・・しばし。
 彼はじっと見つめ続け・・・のち。
 スッと両手、伸ばされて。
 左手は鞘を、右手は柄を。
 下から差し込み持ち上げた。
 ゆっくりと目の高さまで持ち上げると・・・剣心は深々と一礼する。
 既に、目の輝きが違っていた。いつもの・・・剣心ではない。
 いつになく神妙な顔つきの彼の姿に、左之助はトクトクと胸を鳴らしながら静閑に見守る。
 一礼すると剣心は、懐より懐紙を取り出し唇にくわえ。
 逆刃刀を降ろすと改めて、左手で鞘を、右手で柄を握りしめた。
 クッと力、加わり・・・
 ふあ・・・
 逆刃刀、漆黒の衣装を脱ぎ捨てた。
 キラリと刀身、輝きを放ち・・・
 すぐさま、広げておいた布の上へと横たえる。
 傍らの道具箱、指先伸ばし。小槌のような形の目釘抜きを手に取った。
 手慣れた手つきでトントントン・・・目釘を引き抜き。
 手元にあった懐紙で左手、刀身を握り少しばかり力を入れると・・・柄が抜け、茎(なかご)が姿を見せた。
 続いて切羽、鍔、切羽・・・最後にはばきを外せば・・・
 生身の逆刃刀が、露わになった。
 剣心は茎を掴み、逆刃刀を垂直に掲げた。
 外気に身を晒し、逆刃刀は無言で剣心を見つめる。
 その視線を受け止めて、剣心は薄く目を細めた。
 ゴクリと・・・左之助、喉を鳴らした。
 音が聞こえているのか、いないのか。剣心は彼のほうになど視線を向けぬ。
 否、左之助の存在など忘れてしまったかのように、瞬きせずに刀身を見つめていた。
 剣心の面差しに、左之助の額に我知らず、汗が滲む。
 掲げたまま刀身を見据え・・・つと。剣心は左腕の袖の上、刀身を置いて視線を走らせ。
 道具箱の中から奉書紙を取りだし、刀身を下から上、拭き上げた。
 二度、それを繰り返した後に打ち粉を取りだし、ポンポンポン・・・刀身にまんべんなく打つ。
 再度、新たな奉書紙を掴むと刀身を拭き上げて・・・
 その時、だった。

 「!」

 先ほどと同じように、茎を掴んで垂直に逆刃刀を掲げた、剣心の面差しに。
 左之助の心は激しく色めき立った。

   ・・・会えた・・・

 たった一つの想いが、胸を席巻する。

 刀身を・・・逆刃刀を見据える剣心の面差したるは。
 殺気もなく、高ぶりもなく。波風一つ立たぬ水鏡の如くに。
 微笑みもなければ、怒りもなく・・・感情の一片も存在していなかった。
 微動だにせず、瞬きもせず。
 唇を引き絞り、目を見張り。
 懐紙をくわえたまま、逆刃刀から視線を離さない。
 凛たる何かが、宿るのみ。

 ・・・この顔だ・・・

 会いたかったのは、見たかったのはこの顔だと、左之助は湧き起こる感情の高ぶりを必死に抑えながら二度目の唾を飲み込む。

 何ら感情の存在も、
 何ら自我の存在も感じさせぬそれはもはや、「無性」。
 男でもなければ女でもない、そこに居るのは・・・

 ゾクンっ

 全身を巡った怖気に、左之助は無意識に立ち上がろうとした。
 が、

 キロリ。

 剣心の瞳が音もなく、左之助に向けられた。
 たった、それだけのことだったのに。
 左之助の動きはものの見事に、封じられた。
 片膝を起こした形のまま、動くことができなくなったのだ。
 まるで金縛りにでもあったかのように、指先一寸、動かぬ。
 左之助の表情に初めて、恐怖が宿った。

 見てはいけないものを見てしまったのではないか。

 ぽっかりと浮かび上がってきた一念は、左之助の心をたちまち縛り上げた。
 誰しも、知らねば良かったと思う瞬間がある。
 誰しも、知らねば幸せであったと思う瞬間がある。
 未だかつて後悔などしたことはなかったが、この時初めて、左之助は「後悔」の二文字を苦く味わっていた。

 興味本意で覗いてはいけなかった。
 ここにいるのは・・・何の鎧も身に纏っていない、正真正銘の「剣心」。
 裸の心である剣心そのもの、そう・・・
 「生身の剣心」なのだ。

 ・・・勇気がなかったのは剣心じゃねぇ、俺の方だ・・・ッ

 剣心は言った、生身の自分を見せる勇気などないと。
 だが、自分が見たいと言ったがゆえに、剣心はそれを承諾してくれた。
 考えてみれば、かなりの覚悟があったことだろう。
 そう・・・そうとも。
 自分に足りなかったのは、「覚悟」。
 「生身の剣心」を見つめ、受け止めることのできる「覚悟」だ・・・ッ

 グッと奥歯を噛む。
 が、後悔したところで既に遅い。
 いや・・・遅くはない、今から覚悟を決め、剣心を受け止めればよいのだ。
 その大きな器が、自分にあるだろうか・・・?
 ・・・違う、そういうことが問題ではない。
 受け止めようとする気持ちが、心が、覚悟が必要なのだ、勇気が必要なのだッ。
 ならば・・・ならば自分には、

 「その覚悟は、あるッ」

 スックリ、左之助は立ち上がった。

 剣心はちょうど、丁子油の染み込んだ奉書紙にて、刀身を拭き上げたところだった。
 左之助の動きに、鋭い眼差しを投げつける。

 見たことのない剣心。
 何を・・・逆刃刀と語らっているのだろう。
 その言葉を・・・自分も聞いてみたい・・・

 「剣心・・・ッ」

 ドカドカと近寄ってきた左之助を、剣心はどうすることもできなかった。
 逆刃刀をふるおうにも、今は生身の姿。
 この瞬間を突かれるということは、丸腰にならざるを得ぬ湯浴みの最中に奇襲をされたと同然である。
 剣心、咄嗟に逆刃刀を広げていた布の上に置くなり左手、鞘を握りしめた。
 しかし・・・
 「!」
 一寸早く、左之助の右手が剣心の左手を制していた。
 懐紙をくわえたまま、剣心の瞳がカッと燃え上がる。
 「やっと会えたぜ・・・『剣心』ッ」
 「・・・ッ」
 「こんな時にしか自分自身をさらけ出せないなんて・・・卑怯だぜ」
 にやりと婉然、笑って見せて。
 左之助、未だくわえたままの懐紙を取り上げるなり唇、強引に重ねてしまった。
 「むぅッ・・・!」
 剣心の拳に力がこもった。どうにか彼を押しのけようとするが、下手に動くと生身の逆刃刀を、道具箱を蹴飛ばしてしまう可能性があった。
 それだけは、避けねばっ。
 無意識に働いたそうした意識が、結果的に剣心を窮地に陥れる。
 「左ぁ・・・ッ!」
 拳を奮い立たせるが左之助は動かぬ。どれほど叩かれようとも殴られようとも、左之助は動じなかった。
 激しい抵抗を見せる剣心を尻目に、左之助の表情は冷涼さを張り付かせていた。
 身体の内側を怒濤の如く駆けめぐる荒ぶる龍を、冷静という名の鉄扉の中へと押し込めつつ。彼は鮮やかな手さばきで剣心の、袴の紐をするりと解き。
 両手で袷を握って左右へと押し広げた。
 「ク・・・ッ」
 唇を噛み、恨みがましそうに睨み付ける剣心を、左之助は心地よさそうに見つめた。
 「こ・・・のッ、約束を破るのか左之助ッ。神聖な行いをお主はッ、」
 「汚すってェのかい?」
 鼻で笑い、左之助は語尾をさらう。剣心は言葉を失って息を呑んだ。
 「約束を破ったことは謝るが、汚すつもりは更々ねぇよ。ただ・・・俺の知らねぇ剣心がいたってことが、悔しいだけでェ」
 「何・・・?」
 「手入れをしているときの顔・・・誰にも見せたことがねぇんだろ。それはまぁ、良しとしても・・・俺までもが知らなかったってェのが許せねぇのさ」
 左之助、グッと剣心の腰を絡め取ると己へと引き寄せ、彼の身体ごと壁際へ・・・部屋の隅へと押し込んだ。小さな身体は、収まるべき所へ収まったかのようにわだかまる。
 「つ・・・ッ」
 強引に押し込められて、背中が肩が、痛かった。思わず顔をしかめたとき、行灯の明かりを遮るようにして左之助の身体、広がってきた。
 「左・・・」
 「何を語ってやがった・・・?」
 左手が。裾を割ってその奥へ・・・剣心の高ぶりへと触れてくる。大きく体をわななかせたが、唇は結ばれたまま。
 「逆刃刀と・・・何を語らうんでェ・・・」
 「そ、そんなこと・・・あッ」
 大腿の奥へと潜り込んでしまった、左之助の左手。剣心の視界には入らない、左之助の黒い瞳が占領していたから。ただ・・・妖しく蠢き始めたことだけは、認識できていた。
 肉体の奥、鈍い疼きが寝返りを打つ。
 「逆刃刀と向き合ったおめぇは・・・すごく綺麗で、すごく・・・脆そうだったぜ。だが・・・」
 「あぁっ」
 剣心の大腿が、キュッとすぼまった。しかしいつの間にやら、左之助が身体を押し込んでいて閉じることすらままならぬ。剣心は微かに呼吸を乱し始めたことを意識して、羞恥に顔を火照らせた。
 「意志の強さが、伝わってきた・・・」
 「左之・・・ッ」
 剣心の声が、掠れたものに変わって。手のひら、彼の襟を握りしめ。
 「でも・・・俺は、わかっちまった・・・」
 左之助の右手、懐の奥へ・・・胸乳を撫で上げた。親指、華を弄ぶ。
 「ん、ぁ」
 「綺麗で、脆いその奥によ・・・おめぇ、狂気を潜ませてンだろ」
 「え・・・えぇ?」
 剣心の、朦朧とし始めた意識がわずかに覚醒した。瞳に一寸、光が宿る。
 「斬りたくて斬りたくて仕方がねぇっていう・・・狂気を、よ」
 「左之・・・ッ」
 火照っていた面差しが、急激に凍てついた。さっと青ざめ、唇すら色を失う。
 「・・・おめぇ自身も気づいてねぇかもしれねぇ・・・いや、気づいているからこそ、手入れをしている姿を誰にも見られたくなかったんじゃねぇのか・・・?」
 「・・・・・・」
 「剣心、逆刃刀・・・好きか?」
 「え?」
 きょとんと目を丸くした彼を、左之助は苦笑して見つめる。彼を嬲り続けていた両手を開放し、今度はそっと抱きすくめる。
 「どうなんだよ・・・好きなのか?」
 腕の中にくるまれて、剣心はしばらく考えていた。
 左之助の肩の向こう、畳の上・・・布の上に横たわる逆刃刀が見えた。
 行灯の明かりでぼんやりと・・・しかし、鈍くも凄絶な輝きを放っている。
 未だ、血を呑んでいないとはいえ、それは・・・
 「・・・逆刃刀は・・・拙者にとっては相棒・・・。生を全うする上での、大事な物・・・」
 「わかってンよ、そんなことは。俺が聞いてンのは、好きか嫌いか、だぜ」
 肩越し、じっと逆刃刀を見つめながら・・・剣心は、答えた。
 「・・・好きでもなければ、嫌いでもござらぬよ・・・拙者にとっては、空気のような存在・・・必要不可欠でござるから・・・」
 「・・・じゃぁ、好きになれよ」
 「え?」
 「逆刃刀を好きになるってことは・・・おめぇ自身のことも好きになれるだろうからよ」
 「・・・?」
 左之助が何を言いたいのかよく、わからない。
 少しく身を起こし、肌を離して左之助を仰ぎ見る。
 「俺、わかっちまったんだよ・・・」
 「え・・・?」
 「刀は本来、人を斬るための道具。だがおめぇの刀は、どんなに全力を振るっても人は斬らねぇ。刀でありながら、本来の目的を全く、全うしていねぇ・・・」
 「・・・・・・」
 「刃が棟についてんだぜ? 考えてみりゃ、へそ曲がりな刀だよな。斬ってるはずなのに斬ってねぇなんてよ・・・天の邪鬼もいいところだ。・・・逆刃刀は、斬るための形をしてやがるのに、斬ることを許されない刀なんだよ・・・斬りたい想いを心の裏側へ隠したままだ、永久にな・・・」
 額にゆるく・・・左之助の唇が降りてくる。
 剣心は、気づいた。彼が何を言いたいのかを・・・
 「・・・拙者だというのか、逆刃刀が」
 「おうよ」
 「斬りたい想いを抑えた・・・狂気を裏側に隠し持っていると・・・」
 「・・・逆刃刀は、心の裏側に本心を潜ませながらもやるべきことを、意思を貫いている。斬っているのに殺せない、刀としては不毛な姿だってェのによ・・・」
 「左之・・・」
 「いわば・・・本能を理性で・・・いや、本能を信念で抑え込んでやがる。不屈の精神力でよ。考えれば考えるほど、おめぇそのものじゃねぇかよ・・・」
 「・・・・・・」
 「そうとも・・・逆刃刀はおめぇだ。おめぇ自身だ。だから逆刃刀をふるえる、握れるんだ。本性を押し込めたまま、強い意志で想いを貫けるんだ・・・常人が扱える代物じゃねぇ」
 「・・・左、」
 「本性を抑えたまま実力を出すってェのは、生半可なことじゃできないだろうよ。逆刃刀も、おめぇもな・・・」
 「左、左之・・・っ」
 「逆刃刀を好きになりな、剣心っ。そうすりゃきっと、自分自身が好きになれる・・・今までのこともひっくるめて、好きになれるはずだ・・・」
 ・・・継ぐべき言葉は、なかった。
 あろうはずもなかった。
 左之助の言葉は的確で、かつ、熱くて。
 剣心の心に染み込んでいく・・・

 あぁ・・・胸が・・・ッ!

 あれほど、頑なであった心根がいつしか、垣根のすべてを取り払っていることに剣心は気づく。
 いつから・・・?
 いつからこんなに、心が無防備に・・・
 ・・・逆刃刀の手入れを、左之助に見られたからなのか・・・
 だから・・・だから、こんなに・・・

 「・・・ッ」

 不意にこみ上げてきた感情に、剣心は思わず息を止めた。
 握りしめていた左之助の襟もそのままに、さらにきつく握りながら面差し、左之助の胸乳へと押しつける。
 唇の端が、小刻みにわなないていた。

 「・・・剣心・・・?」
 彼の様子に異変を覚えて、左之助は身体を離そうとした。が、剣心の手のひらはしっかりと襟を握りしめていて、どうにも動かぬ。
 「どうしたんだよ、剣心・・・大丈夫か?」
 「・・・之・・・っ」
 声が、漏れ出る。
 「どうしたんだよ・・・身体、震えてンぜ? 寒いのか?」
 「・・・もっと・・・」
 顔を押しつけたまま、剣心は言葉を紡いだ。
 「もっと、きつく・・・抱きしめろ・・・ッ」
 「・・・・・・!」
 眼下に広がる赤毛を、左之助は驚きの眼差しでじっと見つめてから・・・彼の言うとおり、さらなる膂力で華奢な肉体を抱きすくめた。
 はぁっ、と。
 吐息がこぼれたのを、左之助の肌は敏感に感じ取る。
 「本、当に・・・お主という、男は・・・」
 「・・・ん・・・?」
 「・・・参ったでござるよ・・・本当に、参った・・・」
 「剣心・・・」
 か細く、掠れたように。
 剣心の言葉が夜の闇・・・室内に漂う。
 「どうして、お主はこうも・・・」
 ・・・と。
 「・・・ッ」
 左之助、眉を顰めた。こぼれそうになった声を、慌てて押しとどめる。
 「け・・・剣心・・・ッ?」
 胸乳に深く顔を埋めた剣心が。己が舌先を忍ばせ、張りつめた浅黒い肌を舐め始めた。
 唇が這うように登り上げ、舌先がちろちろと遊ぶように舞う。
 胸乳から鎖骨へ・・・辿るようにして首筋へ。
 その頃にはもう、左之助の唇からは甘いため息が止めどもなく・・・
 「左之・・・」
 剣心の唇、左之助の耳朶へ寄り。唇で柔らかくくわえる。
 息づかいが耳朶の奥深くへと吸い込まれていき、左之助は微かな悪寒とともに肩を竦ませた。
 「左之・・・左之、拙者を・・・」
 一瞬の、躊躇い・・・
 「滅茶苦茶に、抱いてくれ・・・ッ」
 「!」
 剣心の台詞に、左之助は素直に驚いてしまった。
 いつだって、頑なであった剣心。
 どれほど睦言を囁こうとも、欲しい言葉を唇に登らせることなどついぞなく。時にこぼれたことがあっても、それは数えるほどしか・・・
 いつしか陶然としてしまっていた瞳をハッと見開いたときには。
 「ん・・・ッ」
 剣心の唇が、左之助の唇を奪っていた。
 「ふ・・・ぅ・・・」
 唇を割り、剣心の艶めいた想いが入り込んでくる。思わぬ積極的な行為に、左之助の脳髄が悲鳴を上げた。
 「ん・・・ぁ、左之・・・っ」
 両手で左之助の頬を挟み込み、しっかり固定して剣心は、あまやかな声をこぼしながら唇を貪る。大きな杯に満たされた酒を一気に飲み干すように、だが味わうように想いの先、出し入れを繰り返し・・・
 耳朶を。
 密やかなる音がくすぐる。
 既に左之助の手によって、あらかたはだけられてしまった、単衣。
 肩を滑り二の腕を晒し、大腿までもが裾から見え隠れ。
 しどけない姿で、剣心は胡座をかいている左之助を跨いで膝立ちになっていた。
 ・・・剣心の中で、何かに火がついたのだろうか。
 眩暈がするような執拗な口づけに、左之助は狂気にも似た想いを揺らめかしながら、ぼんやりとそんなことを思った。
 唇を離そうとしない剣心をそのままに左之助、停止していた己が両手を再開させる。
 左手スルリ、背中へ這わし。
 右手ぬるり、大腿の奥へ・・・
 「んっ、んぁッ」
 肌をめぐった怖気の感触に、剣心はとうとう、唇を離してしまった。
 弓なりにしなった背中、跳ね上がった頤。
 繋ぐものは・・・色のない糸。
 「左・・・左之っ」
 素肌の背中を、左之助の左手が悠然と行き来する。ゆっくり・・・時に早く。爪の先で、指の腹で・・・滑らかな肌を。
 「あっ、ぁ」
 ほんのりと湿り始めた内股を、左之助の右手が這い上がる。徐々に、徐々に・・・下帯の中へと・・・
 剣心の腰、にわかに浮き上がるようにしてのけぞった。
 「い、や・・・左・・・っ」
 彼の両肩へ手を置いて、剣心は瞳を潤ませて眼差しを送る。
 ところが、左之助の瞳は冷然そのもの。あまつさえ薄ら笑いを浮かべ、剣心を見つめているではないか。
 剣心の胸が、鋭い痛みを宿した。
 「何が・・・嫌だってェ・・・?」
 「そ・・・そのっ、奥・・・っ」
 「聞こえねぇな」
 うぞうぞとした感触が、身体の中心へと訪れる・・・
 表情へ張り付く野獣の双眸。
 剣心、堪えかね・・・
 「ひっ、あ、あぁ・・・ッ」
 それは、指先が下帯の中へと入った瞬間。
 包まれ、張りつめていた物が大きく震えたことを左之助、見逃さなかった。
 「おいおい・・・触っただけだぜェ・・・? ・・・敏感だねェ・・・」
 「イヤ・・・ッ」
 顔を背けた剣心を、左之助は愛しげに見つめる。見つめつつ、右手は手慣れた動作で剣心の下帯を解いてしまった。・・・重みの増した下帯、畳へズトリと落ち。
 想いを放った剣心の分身は、左之助の手のひらへと収まった。
 「まだ・・・これからだもんな・・・え? 剣心よ・・・」
 「う・・・っ」
 「そんな顔、するなよ・・・滅茶苦茶にされてェんだろ・・・?」
 「左、左之・・・っ」
 「・・・要望に応えてやるよ」
 剣心の瞳の中で・・・
 左之助は、艶美に笑った。






 浅ましい姿と思う余裕は、微塵もなく。
 いや・・・さらなる感覚を求めて、むしろ肉体は放恣に乱れていく。
 単衣を、襦袢を纏っているのか、いないのか。その判別すらつかぬように・・・衣装は、剣心の両肘の辺りでわだかまっている。
 腰部はまくり上げられ、臀部はがっしり、左之助の両手が広がり絞るようにして掴んでいる。
 密やかに息づく深淵は、闇に閉ざされ見る者を拒む。が、漆黒に染まるその奥から、先刻から卑猥な音が絶えず、洩れ響いている。
 聞くに堪えぬ、表現しがたき微かなる音・・・
 共鳴、するように。
 剣心の腰部が、揺らめいた。
 「ふっ、あ・・・んぅ、あっ」
 白銀のような両脚が、暗闇にうっそりと。鋼の肉体、腰部を絡め取っている。胡座をかいている左之助にしがみつく姿はまさしく・・・欲しい物をねだる、幼子・・・
 「んッ、左、之・・・ぉッ」
 瞳が潤み、眇められ。
 赤毛が、十字傷を濡らす。
 艶にそぼる剣心の姿を面差しを、左之助は逐一洩らさず見つめていた。
 いつのまにか、赤毛を束ねていた紐は解けていた。
 いつのまにか、自分も下帯を取り払っていた。
 浴衣は、着衣したままに。
 しわくちゃになろうが汚そうが、もはやどうでもよい。
 借り物だから、どうだというのだ。
 今はこの瞬間を・・・

 この瞬間を、俺のものにする・・・ッ

 「剣心・・・剣心・・・っ」
 頤を上向かせ、唇を重ねると剣心、むせび泣くようにして応えてくる。互いの舌先が絡み合い、睦言もままならぬその眼下、左之助の腰部は蠢き続ける。
 「ん・・・あぁ・・・左之・・・」
 愉悦に微睡み、声を湿らせ。彼の吐息を赤毛に絡ませながら剣心、滲んだ汗でてらてらと光る肩へと唇を落とす。
 赤い口を開き、噛みつき。いっぱいに広がった汗の香りに薄笑い。
 「はぁ・・・あ、ぅ・・・左ぁ之・・・」
 左之助の耳朶に、剣心の悶えが染み込む。
 「ん〜・・・? 何だよ・・・」
 項を掻き上げ、強く唇で吸い上げる。・・・ほんのり、紅の痕。
 「すご、く・・・あぁ・・・溶けそ、うだ・・・」
 「・・・いいのか・・・?」
 「ん・・・いい・・・良すぎて、もっと・・・もぉっと・・・」
 ゆるやかな波にたゆたいながら、剣心はうっとりとしてそう呟いた。
 「もっと・・・どうしたいんでェ・・・」
 ぺろり、十字傷を舐めると。剣心の眉が崩れて儚いため息。
 「あ・・・も・・・っと・・・欲、し・・・」
 「こんなに・・・自分から腰を振ってんのに、まだ欲しいのかよ・・・」
 喉の奥、くぐもった笑いに剣心、ふと顔を上げ。
 「意地悪を・・・言うな・・・ッ」
 赤面し、左之助を睨め付ける。
 「意地悪? 俺ァ、本当のことを言っただけだぜェ」
 「・・・それが、意地・・・ッ」
 言葉の途中、クッと剣心、声を失う。左之助が不意に、腰を突き上げたのだ。
 その様を、左之助はニヤニヤと笑って見ている。
 「どうした? ・・・何だって?」
 「こ、の、馬鹿・・・っ」
 「だから・・・何だよ?」
 再び、左之助の突き上げに剣心、言葉を飲み込んでしまう。
 彼の意地悪にも堪えかねぬものがあったが、それよりも何よりも・・・
 「あぁ、左之・・・もう・・・ッ」
 肌が、粟立つ。
 「左之・・・助・・・っ」
 息を詰めるように、剣心は左之助に縋り付く。
 左之助は、嬉しそうに笑って言った。
 「我慢・・・できねぇんだな・・・?」
 「・・・あぁ・・・」
 「本気で・・・いくぜ・・・?」
 「・・・!」
 「・・・しがみついてろ、よッ」
 画然、
 「ひっ」
 ゆるやかな動きのみしか示していなかった左之助の腰部が、取り憑かれたように猛然と蠕動を始めた。剣心の大腿を抱え込み、白い裸体を揺さぶる。
 赤い髪が背で弾け、滲んだ汗が空を舞う。
 彼の膝の上、大きく身体を裂かれて剣心、我を失い欠けた。
 「あっ、やっ、左・・・左之・・・ぉ・・・ッ」
 肉体の中心を穿たれて、剣心は夥しい熱量と眩暈に襲われる。
 ここがどこであるかもついぞ忘れ、あられのない声を迸らせ。
 「そんなに声を出してっと、母屋にまで聞こえッちまうぜェ・・・っ?」
 飲まれるようにして唇を塞がれても、無情に溢れてくる声を抑えることなど、到底不可能だった。
 「う、ん、左之、左之・・・っ」
 絶えず、彼の名を口にした。飽くことなく呼んだ。しきりに呼び続けた。
 背に爪を立てる、隆起した筋肉にギリッと食い込ませ。
 左之助の吐息、荒ぶる呼吸が耳朶に、胸に響く。
 彼の熱い楔がこの中にある、そう思うだけで剣心の身体は発熱する。
 止めどもなく、際限なく発熱する。
 「くぅ、あ、左之、左之、左之・・・ッ」
 左之助の動きに合わせて、自分が動いていることなど気づかない。
 自ら唇を求めてしまったことも、何やら淫らな言葉を告げてしまったことも、一向気づかない。
 なのに・・・
 ・・・なのに、剣心は気づいてしまった。
 荒れ狂う嵐の中にキラリと輝く、冷ややかな光を。
 「・・・あ・・・」
 密着した肌、肩越しから見えた物。それは・・・
 「・・・之、左之、左之・・・ッ! いやだ・・・嫌でござる、左之・・・ッ」
 突然、悲鳴にも似た声を上げた剣心に、左之助は問いかける。
 「どうしたんだ、剣心っ」
 「見ている・・・見られているっ、逆刃刀に・・・拙者達、逆刃刀に見られている・・・ッ」
 「それがどうしたよッ?」
 左之助の動きは止まらない。剣心の感触に意識をさらわれそうになりながらも、必死になって理性をとどめている。
 「見られたくは、ない・・・このような姿、逆刃刀には見られたくは・・・ッ」
 「どうして、見られたくないんだッ」
 「わからぬ・・・わからぬよッ。だが・・・逆刃刀だけには、拙者・・・ッ」
 剣心にとって、逆刃刀には特別な思い入れがあるのだろう。相棒と彼は言ったが、それ以上に何かを感じているのかもしれない。
 「いいんだよ・・・見せつけてやろうぜ・・・」
 「そんな・・・ッ」
 「あいつだって、わかってくれらァな。あいつだって・・・逆刃刀だって、イイ相手がいるんだからよ・・・」
 「・・・?」
 思わず自分を見つめてきた剣心を左之助、ニヤリと笑い。
 「鞘だよ。あいつには鞘があるだろっ。鞘が、逆刃刀をいつも抱きしめてンじゃねぇかっ。俺だって、おめェの鞘になりてェんだ・・・ッ」
 「左、左之・・・ッ」
 「おら、くだらねェこと言ってる余裕あンのかよ、剣心・・・ッ?」
 「ひゃぁッ」
 深く深く、左之助が割り入ってくる。
 ビクビクと身体の奥が痙攣を示し、左之助の熱を受け入れる。
 「あっ、あぁ・・・深、い・・・左・・・ッ」
 「いい・・・いいぜぇ、剣心・・・ッ」

 何を見ているのか、見つめているのか。
 何を感じているのか、感じていないのか。
 わからない・・・わからない・・・

 剣心はただただ、左之助にしがみついているだけで。
 何度も襲う快楽の波に押し流されて。
 随が・・・肉体が、魂の中心が酷く痛い。
 酷く甘い。
 酷く・・・心地よい。
 初めての感覚だった。
 肉体だけでなく、心だけでなく、
 命そのものまで凌駕し尽くされてしまうかのような、
 存在そのものを掻き消されてしまうかのような、
 圧倒的な「強さ」と「温もり」。

 幾度となく波に揉まれ・・・
 ・・・もはや。

 「あっ、あ、左之、左・・・ッ」

 掠れた声の、その先は。
 一寸、止まる呼吸と停滞した空気。
 熱を宿した空気の中、白魚の背はしなり、逃すまいと浅黒い腕、しっかと抱きすくめ。
 己もまた、深々と身体を突き上げていて・・・

 ドッと、弛緩した。

 「・・・心、剣心・・・っ」
 しがみつき、寄り添ったまま、二人はともに呼吸を乱していた。
 剣心はもう、声すら出せぬ。
 頭を左之助の胸乳に落として、伝い落ちていく汗の雫を呆然と眺めていた。
 「あぁ・・・たまらねぇ・・・」
 頭上にて、左之助の言葉が洩らされた瞬間。
 「あ・・・ッ」
 ゴロリと。
 剣心は畳へと横たわっていた。
 左之助の腕が、彼を横にさせたのだ。
 激しい抱擁の後のこと、剣心には指先一寸、動かす気力がない。成すがまま、成されるがまま。
 畳の上、仰向けに転がされた剣心の上・・・
 左之助が、汗で湿った浴衣を脱ぎ捨てて、
 すっかり上気してしまった身体を晒し、上空を支配した。
 彼の気配に、剣心は戸惑いを見せる。
 「左・・・左之・・・? まさか・・・」
 「・・・休ませねぇよ」
 「ちょ・・・」
 「・・・滅茶苦茶にして欲しいんだろ・・・?」
 冷然と囁かれ。
 たちまち剣心、身体を火照らせてしまった。
 クラクラと視界が歪む。
 年甲斐もなく、若い反応を示してしまった己が肉体を恥じつつも、剣心は彼を拒むことが・・・いや、拒むつもりなど毛頭なく。
 「左之・・・」
 「・・・離さねぇよ。せっかく素直な剣心が拝めたんだ、絶対に離しゃしねぇよ。これを逃したら、今度はいつ、会えるかわからねぇからなぁ・・・」
 「馬、鹿・・・ッ」
 「欲しがってみろよ、剣心。俺を・・・もっと欲しがってみな・・・」
 いつもなら、いつもの剣心ならばどれほど、左之助に酔いしれようと。
 決して、自ら行動を起こすことはなかった。
 それが・・・
 「左之・・・ッ」
 両腕を伸ばし首へ絡ませ。
 己が上体を擦り上げるようにしてまたしても左之助の唇、奪ってみせたのだ。
 ・・・本当に。
 何もかもを取り払ってしまっている今の「剣心」が、嬉しくてたまらなかった。
 彼の心根は、底から自分を欲しがっているのだと・・・
 そう、実感できたから。

 「左、之ぉ・・・むぅ、ぁ・・・」
 「剣心・・・剣心ッ、あぁ・・・」

 抜き身の逆刃刀を尻目に。
 二人は互いの肌をまさぐり合う。
 もう、視線など気にしない。
 これが「自分」なのだから。

 鞘に収まらぬ逆刃刀。
 左之助に収まらぬ剣心。

 「斬る」ことを永久に封印されてしまった、逆刃刀。
 「斬らぬ」ことを永久に誓った、緋村剣心。

 逆刃刀が鞘を見出したと同様に、
 剣心もまたこの夜、自分の鞘を見出した。
 もう・・・離れぬ、離れてはならぬ。
 刀と鞘は、一心同体。
 どちらかのみ、存在することは許されぬのだ。

 「俺達は一つだ・・・一つになってンだぜ、剣心・・・ッ」

 左之助の言葉が剣心に、届いたか、否か。
 その答えは・・・

 逆刃刀のみぞ、知る。




     了


背景画像提供:「 Kigen 」さま http://www.sobunet.co.jp/

〜 七夕企画部屋「Star Festival」さまへ捧ぐ 〜





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 拝啓 〜 「裸の逆刃刀」編

 いつも小説を書くときには、ある程度の骨組みを立ててから書き始めるため、 毎回のことながら結末がどうなるか、私自身もよくわかっていません(笑)。
 そういった意味で、左之助が剣心へ「鞘になりたい」といった発言には、 私自身もビックリしたものです(^^;)
 この一編、文章的に荒さもあるし、「うっひゃ〜!!」てなところも たくさんあるのですが(笑)。とはいえ、内容的にはかなり気に入っている 一編です。
 基本的に日本刀は大好きなのですが、この一編を書くに当たっていろいろと 調べた思い出があります(笑)。
 日本刀への知識をさらに深めた・・・といった具合でしょうか。その過程は とても楽しかったです・・・(////)♪
 また日本刀を絡めた一編、いつか書きたいなぁ・・・♪

02.07.03 寄稿
06.06.13 UP

 かしこ♪