[ 表紙  2 ]



 頃合いを見計らったかのように左之助は、ふらりと神谷道場を訪れた。
 この刻限ならば夕餉にありつける・・・そう睨んでの来訪である。
 狙いは過たず、ちょうどこれから食べようか・・・という矢先であった。
 居間ではすっかり、夕餉の支度が整えられていた。
 「お、今から夕餉かい? 馳走になるぜ」
 我が物顔で居間へと入っていくなりどっかり、腰を下ろした。
 以前ならば、居候で門下生でもある弥彦が何事か、彼に一言二言文句を言っていたものだ。が、最近ではほとんど何も言わなくなった。文句を言ったところで、彼が聞き届けるわけがなかったし、何より自分もまた居候の身分、左之助にとやかく言える立場ではないと感取ったためだ。
 悠々と自分の隣に腰を下ろしてきた左之助を、それでも弥彦はジロリと見る。
 「よぉ、弥彦。今日の夕餉は誰が作ったんだい?」
 「剣心だよ」
 「そりゃまた、上々。今日もうまい飯にありつけるってわけか」
 「でもよ・・・」
 「ん?」
 「・・・剣心は食わないってさ」
 「は?」
 それはどういうことだと問いただそうとしたときに、急須を手にした薫が姿を見せた。
 「あら、左之助。いつの間に来たの? まったく、鼻の利く奴ねぇ」
 やや呆れた口調でありながらも、その面差しはほころんでいる。毎日のように文句を言っている薫だが、左之助の来訪を拒んでいるわけではない。むしろ、家族の一人として左之助を捉えている。
 「なぁ、嬢ちゃん。剣心は飯を食わねぇのか?」
 「あ・・・うん・・・」
 面差しが曇った。湯飲みへ茶を注ぐその動き、にわかに止まる。
 「自分は今日、頂いてきたから構わないって・・・。でも、夕餉は出来ているから、みんなで食べてくれって・・・そう、言うんだけど・・・」
 「だけど・・・?」
 「・・・剣心、部屋にこもりっきりなの。少し様子を見に行ったんだけど、障子を閉めちゃってるし・・・何かあったのかしら? 私・・・」
 薫は口を閉ざした。これ以上、話したくはないのだろう。
 心配で心配で堪らない・・・でも、それを口にしてしまえば本当のことになる・・・そんな余韻がある。
 曇った顔なんざ、見たくない。
 むしろ、それを一番喜ばないのは剣心だ。
 左之助はにやりと笑った。
 「そうか、そいつァ心配だな。だったらよ、飯を食ったら俺が剣心のところへ行ってみるからよ・・・な? それでいいな、嬢ちゃん」
 「左之助・・・」
 「よし、そうと決まったら飯、食っちまおうぜ。せっかくの料理が冷めちまわァ」
 彼は箸を握ると、湯気を立てるお吸い物へと唇を寄せた。






 すっかり、陽は落ちて・・・
 辺りは闇に包まれる。
 剣心の部屋は、行灯の明かりでぼんやりと浮かび上がっていた。
 何が彼に起こったのか・・・左之助にはわからない。
 けれど、薫や弥彦の沈んだ表情を見ると、ただごとではないような気もする。
 何はともあれ、現状を見てみねば何ともならぬ。
 心は騒ぐ、ざわざわと。けれども、いかなる状況をも受け止められる自信が、左之助にはあった。
 彼は臆することもなく、まっすぐに剣心の部屋へと歩み寄るなり、
 「剣心、いるか?」
と、野太く一言呼ばわった。
 「あぁ・・・左之助か。どうした、中へ入らぬのか」
 聞こえてきたのは変わらぬ声音、変わらぬ口調。左之助は我知らず微笑を浮かべた。
 「おぉ、邪魔するぜェ」
 スッ・・・障子を開いた。
 「お・・・」
 目が、たちまち一点へ吸い寄せられた。
 身体が、凍る。
 ・・・薄闇の中に、橙色の行灯・・・
 不明瞭な灯りの中、しかし鮮明な存在感を醸し出してそこにあったもの。
 「梅・・・」
 剣心よりも何よりも。まず一番に目を引いたのは、花瓶へ無造作に差された白梅、一枝。
 やや小柄な枝振りでありながら花、蕾ともに賑やかで・・・それなのに。
 強い自己主張もなく。
 最初からそこにいたように溶け込み、スッ・・・と、たたずんでいた。
 そんな、白梅を真正面に。
 剣心は正座をしてそこに、いた。
 赤毛が揺れ、蒼い瞳が左之助を見上げる。
 「待っていたでござるよ、左之助」
 「は?」
 意外な言葉に、左之助は面食らった。一瞬呆然としてしまった彼など捨て置き、剣心は笑顔で手招いた。
 「まぁ、こっちへ来て座れ。酒でも飲もう」
 見れば、剣心の前に湯飲みが一つ。
 白梅の前にも湯飲みが一つ。
 そして・・・傍らに、もう一つ。
 さらに徳利も側に置かれていた。
 不自然な光景に、左之助の瞳は訝しさを滲ませた。
 「ほら、何をしている? こっちへ来い。寒いだろう?」
 三つ目の湯飲みへと酒を注ぎながら、剣心は苦笑してそう言った。
 左之助は狐に包まれたようになりながらも、言われるがままに腰を下ろした。
 チラリ、彼の面差しを見遣る。
 ・・・いつもの微笑を浮かべている、柔らかく、穏やかな・・・。けれど、それが本当の微笑ではないことが多いことを、左之助はよく知っていた。
 まじまじと彼を見つめる。見つめて・・・口元のほころび加減が、「本物の微笑」であることを知らせてくれた。瞳を見れば温かく・・・落ち着いている。
 このことに、少なからず左之助は安堵した。
 これで、嬢ちゃんと弥彦の不安はなくなることになる・・・
 そう思うと、身体からいっぺんに力が抜けた。
 「もらうぜ」
 湯飲みの酒をむんずと掴むなりクッと空け、
 「はぁ〜っ」
と、腹の底から熱い息を吐き出した。熱く、火照り上がってくる感触がたまらない。快い、眩暈・・・
 本当に、安堵した。
 「クックックッ・・・」
 剣心が喉の奥で笑った。左之助、ムッとして視線を投げる。
 「いや、緊張が取れたなァと思ってな」
 途端、すべてお見通しであったと知った左之助、憤然と腹を立てた。
 「何だよ、そいつァ! 嬢ちゃんや弥彦がどれだけ心配して、」
 「わかっている」
 彼の語尾をさらって、剣心ははっきりと言い切った。
 「わかっていたよ、左之。けれど・・・」
 視線が流れ・・・その先は。
 左之助も追いかけた・・・その先は。
 白梅。
 剣心の瞳、ますます温もりを帯びた。
 「・・・どうしたんだよ、その梅は」
 瞳の意味合いを考えながら、左之助は己が湯飲みへ酒を注いだ。
 剣心は梅から視線を離さず・・・ぽつり。
 「分けてもらったのでござるよ・・・あまりに見事でござったから・・・」
 「ふーん・・・」
 剣心は、ぽつぽつと今日の出来事を語り始めた、白梅との出逢い、老婆とのやり取り・・・。
 彼の話しに耳を傾けながらしかし左之助、全く別のことを考えていた。
 考えながら逐一、剣心の一挙手一投足すべてを観察している。
 梅・・・白梅か・・・。
 さきほどから、剣心はあまり左之助を見ようとしなかった。
 梅ばかりに気を取られている、梅ばかりに心を寄せている・・・そんなふうだ。
 ・・・何が、そんなに楽しいのか。
 こちらを顧みようともしない剣心に、ついつい苛立ちが胸につもる。
 「待っていた」と言っておいて何だ、この態度は。
 一人、湯飲みの回数を重ねながら、まんじりとしない思いで剣心を見ている。
 白梅・・・白梅、か・・・
 ン・・・白梅・・・?
 「!」
 画然に左之助、思い至った。
 梅の前になにゆえ、湯飲みが・・・酒が置かれてあるのか。
 剣心の瞳が妙に熱を帯びているのか。
 それは・・・
 「・・・見てくれ。この男が、話していた左之助でござるよ・・・」
 剣心、穏やかに話し始めた・・・いや、語りかけ始めた。
 目の前の白梅に向かって。
 「拙者にとって、唯一無二の友であり、親友であり、かけがえのない拙者の・・・」
 ふと、言葉が詰まった。
 軽く唇を結び、視点が飛ぶ。
 「・・・見つからぬな、言葉が。見合う言葉が見つからぬ。拙者は、お前と違って学がないからな・・・」
 苦笑しながら、剣心は酒をあおった。
 「でも・・・お前だけには、この男を見てもらいたかった、会ってもらいたかった。だから・・・」
 白梅は静かに耳を傾けている・・・じっと。赤毛の優男を見つめながら。剣心もまた、瞳に白梅の瞳を受け止めたまま・・・
 「・・・拙者は大丈夫でござるよ。この男がいる限り、拙者は・・・拙者でいられる。『剣心』として、生きていける・・・」
 左之助は、じん・・・と胸が熱くなった。
 今ならば、わかる。彼が誰に対して語りかけているのかを。
 白梅を通して誰を、見ているのかを・・・
 嬉しかった。
 心が火照り上がる。
 剣心は自分を会わせてくれたのだ、引き合わせてくれたのだ。かつての・・・
 ・・・かつての、最愛の人に。
 それがどんな意味合いを孕んでいるのか・・・
 左之助は、白梅の湯飲みへと少し、酒を注いだ。
 剣心の視線が、白梅から左之助へと流れる。
 「・・・ありがとうよ、剣心」
 ただ、それだけを言った。
 剣心は微笑む、ゆるやかに・・・黙って。
 それきり・・・何も言わず。
 左之助も、何も言わなかった。
 言葉など、今は・・・

 黙々と酌み交わした、二人で・・・いや、三人で。
 穏やかで濃厚な・・・贅沢な時の流れ・・・

 夜は、刻々と更けていった。
 それぞれの想いを乗せて・・・




     了


「漆黒の刃」http://www3.to/yaiba





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 拝啓

 2月14日は左之助の誕生日・・・。
 その時にふっと脳裏に浮かんだのは、左之助の嬉しそうな微笑みでござりました。
 何が起これば、嬉しそうな微笑みを浮かべるのだろうか・・・。
 それはきっと、剣心のほうから何らかの動きを見せた場合ではないのか。
 そういった流れでつらつらと考えているうちに・・・白梅に惚れる剣心の姿が浮かんで参ったのでござります。
 ・・・そんなこんなで、今回の物語は出来上がってしまったのでござる(笑)
 しかし・・・
 実際は、少し違った出来具合になったようで・・・(^^;)
 当初、考えていたものと少し違うような・・・はてさて? でも、それは何であったのかと問われると・・・
 これがまた、よくわからないのだから質が悪い(-_-;)
 ・・・いずれにしましても。
 今回もまた、あまり、まとまりのない拙作で申し訳ござりませぬ(-_-;)
 特に、詩的な表現が目立つような気も致すし・・・。
 それでもお気に召して頂ければ、幸いでござりまする(^^;)
 お目汚し、まことにありがとうでござりました! m(_ _)m

 かしこ♪

 03.02.11