頃合いを見計らったかのように左之助は、ふらりと神谷道場を訪れた。
この刻限ならば夕餉にありつける・・・そう睨んでの来訪である。
狙いは過たず、ちょうどこれから食べようか・・・という矢先であった。
居間ではすっかり、夕餉の支度が整えられていた。
「お、今から夕餉かい? 馳走になるぜ」
我が物顔で居間へと入っていくなりどっかり、腰を下ろした。
以前ならば、居候で門下生でもある弥彦が何事か、彼に一言二言文句を言っていたものだ。が、最近ではほとんど何も言わなくなった。文句を言ったところで、彼が聞き届けるわけがなかったし、何より自分もまた居候の身分、左之助にとやかく言える立場ではないと感取ったためだ。
悠々と自分の隣に腰を下ろしてきた左之助を、それでも弥彦はジロリと見る。
「よぉ、弥彦。今日の夕餉は誰が作ったんだい?」
「剣心だよ」
「そりゃまた、上々。今日もうまい飯にありつけるってわけか」
「でもよ・・・」
「ん?」
「・・・剣心は食わないってさ」
「は?」
それはどういうことだと問いただそうとしたときに、急須を手にした薫が姿を見せた。
「あら、左之助。いつの間に来たの? まったく、鼻の利く奴ねぇ」
やや呆れた口調でありながらも、その面差しはほころんでいる。毎日のように文句を言っている薫だが、左之助の来訪を拒んでいるわけではない。むしろ、家族の一人として左之助を捉えている。
「なぁ、嬢ちゃん。剣心は飯を食わねぇのか?」
「あ・・・うん・・・」
面差しが曇った。湯飲みへ茶を注ぐその動き、にわかに止まる。
「自分は今日、頂いてきたから構わないって・・・。でも、夕餉は出来ているから、みんなで食べてくれって・・・そう、言うんだけど・・・」
「だけど・・・?」
「・・・剣心、部屋にこもりっきりなの。少し様子を見に行ったんだけど、障子を閉めちゃってるし・・・何かあったのかしら? 私・・・」
薫は口を閉ざした。これ以上、話したくはないのだろう。
心配で心配で堪らない・・・でも、それを口にしてしまえば本当のことになる・・・そんな余韻がある。
曇った顔なんざ、見たくない。
むしろ、それを一番喜ばないのは剣心だ。
左之助はにやりと笑った。
「そうか、そいつァ心配だな。だったらよ、飯を食ったら俺が剣心のところへ行ってみるからよ・・・な? それでいいな、嬢ちゃん」
「左之助・・・」
「よし、そうと決まったら飯、食っちまおうぜ。せっかくの料理が冷めちまわァ」
彼は箸を握ると、湯気を立てるお吸い物へと唇を寄せた。
すっかり、陽は落ちて・・・
辺りは闇に包まれる。
剣心の部屋は、行灯の明かりでぼんやりと浮かび上がっていた。
何が彼に起こったのか・・・左之助にはわからない。
けれど、薫や弥彦の沈んだ表情を見ると、ただごとではないような気もする。
何はともあれ、現状を見てみねば何ともならぬ。
心は騒ぐ、ざわざわと。けれども、いかなる状況をも受け止められる自信が、左之助にはあった。
彼は臆することもなく、まっすぐに剣心の部屋へと歩み寄るなり、
「剣心、いるか?」
と、野太く一言呼ばわった。
「あぁ・・・左之助か。どうした、中へ入らぬのか」
聞こえてきたのは変わらぬ声音、変わらぬ口調。左之助は我知らず微笑を浮かべた。
「おぉ、邪魔するぜェ」
スッ・・・障子を開いた。
「お・・・」
目が、たちまち一点へ吸い寄せられた。
身体が、凍る。
・・・薄闇の中に、橙色の行灯・・・
不明瞭な灯りの中、しかし鮮明な存在感を醸し出してそこにあったもの。
「梅・・・」
剣心よりも何よりも。まず一番に目を引いたのは、花瓶へ無造作に差された白梅、一枝。
やや小柄な枝振りでありながら花、蕾ともに賑やかで・・・それなのに。
強い自己主張もなく。
最初からそこにいたように溶け込み、スッ・・・と、たたずんでいた。
そんな、白梅を真正面に。
剣心は正座をしてそこに、いた。
赤毛が揺れ、蒼い瞳が左之助を見上げる。
「待っていたでござるよ、左之助」
「は?」
意外な言葉に、左之助は面食らった。一瞬呆然としてしまった彼など捨て置き、剣心は笑顔で手招いた。
「まぁ、こっちへ来て座れ。酒でも飲もう」
見れば、剣心の前に湯飲みが一つ。
白梅の前にも湯飲みが一つ。
そして・・・傍らに、もう一つ。
さらに徳利も側に置かれていた。
不自然な光景に、左之助の瞳は訝しさを滲ませた。
「ほら、何をしている? こっちへ来い。寒いだろう?」
三つ目の湯飲みへと酒を注ぎながら、剣心は苦笑してそう言った。
左之助は狐に包まれたようになりながらも、言われるがままに腰を下ろした。
チラリ、彼の面差しを見遣る。
・・・いつもの微笑を浮かべている、柔らかく、穏やかな・・・。けれど、それが本当の微笑ではないことが多いことを、左之助はよく知っていた。
まじまじと彼を見つめる。見つめて・・・口元のほころび加減が、「本物の微笑」であることを知らせてくれた。瞳を見れば温かく・・・落ち着いている。
このことに、少なからず左之助は安堵した。
これで、嬢ちゃんと弥彦の不安はなくなることになる・・・
そう思うと、身体からいっぺんに力が抜けた。
「もらうぜ」
湯飲みの酒をむんずと掴むなりクッと空け、
「はぁ〜っ」
と、腹の底から熱い息を吐き出した。熱く、火照り上がってくる感触がたまらない。快い、眩暈・・・
本当に、安堵した。
「クックックッ・・・」
剣心が喉の奥で笑った。左之助、ムッとして視線を投げる。
「いや、緊張が取れたなァと思ってな」
途端、すべてお見通しであったと知った左之助、憤然と腹を立てた。
「何だよ、そいつァ! 嬢ちゃんや弥彦がどれだけ心配して、」
「わかっている」
彼の語尾をさらって、剣心ははっきりと言い切った。
「わかっていたよ、左之。けれど・・・」
視線が流れ・・・その先は。
左之助も追いかけた・・・その先は。
白梅。
剣心の瞳、ますます温もりを帯びた。
「・・・どうしたんだよ、その梅は」
瞳の意味合いを考えながら、左之助は己が湯飲みへ酒を注いだ。
剣心は梅から視線を離さず・・・ぽつり。
「分けてもらったのでござるよ・・・あまりに見事でござったから・・・」
「ふーん・・・」
剣心は、ぽつぽつと今日の出来事を語り始めた、白梅との出逢い、老婆とのやり取り・・・。
彼の話しに耳を傾けながらしかし左之助、全く別のことを考えていた。
考えながら逐一、剣心の一挙手一投足すべてを観察している。
梅・・・白梅か・・・。
さきほどから、剣心はあまり左之助を見ようとしなかった。
梅ばかりに気を取られている、梅ばかりに心を寄せている・・・そんなふうだ。
・・・何が、そんなに楽しいのか。
こちらを顧みようともしない剣心に、ついつい苛立ちが胸につもる。
「待っていた」と言っておいて何だ、この態度は。
一人、湯飲みの回数を重ねながら、まんじりとしない思いで剣心を見ている。
白梅・・・白梅、か・・・
ン・・・白梅・・・?
「!」
画然に左之助、思い至った。
梅の前になにゆえ、湯飲みが・・・酒が置かれてあるのか。
剣心の瞳が妙に熱を帯びているのか。
それは・・・
「・・・見てくれ。この男が、話していた左之助でござるよ・・・」
剣心、穏やかに話し始めた・・・いや、語りかけ始めた。
目の前の白梅に向かって。
「拙者にとって、唯一無二の友であり、親友であり、かけがえのない拙者の・・・」
ふと、言葉が詰まった。
軽く唇を結び、視点が飛ぶ。
「・・・見つからぬな、言葉が。見合う言葉が見つからぬ。拙者は、お前と違って学がないからな・・・」
苦笑しながら、剣心は酒をあおった。
「でも・・・お前だけには、この男を見てもらいたかった、会ってもらいたかった。だから・・・」
白梅は静かに耳を傾けている・・・じっと。赤毛の優男を見つめながら。剣心もまた、瞳に白梅の瞳を受け止めたまま・・・
「・・・拙者は大丈夫でござるよ。この男がいる限り、拙者は・・・拙者でいられる。『剣心』として、生きていける・・・」
左之助は、じん・・・と胸が熱くなった。
今ならば、わかる。彼が誰に対して語りかけているのかを。
白梅を通して誰を、見ているのかを・・・
嬉しかった。
心が火照り上がる。
剣心は自分を会わせてくれたのだ、引き合わせてくれたのだ。かつての・・・
・・・かつての、最愛の人に。
それがどんな意味合いを孕んでいるのか・・・
左之助は、白梅の湯飲みへと少し、酒を注いだ。
剣心の視線が、白梅から左之助へと流れる。
「・・・ありがとうよ、剣心」
ただ、それだけを言った。
剣心は微笑む、ゆるやかに・・・黙って。
それきり・・・何も言わず。
左之助も、何も言わなかった。
言葉など、今は・・・
黙々と酌み交わした、二人で・・・いや、三人で。
穏やかで濃厚な・・・贅沢な時の流れ・・・
夜は、刻々と更けていった。
それぞれの想いを乗せて・・・
了
拝啓
2月14日は左之助の誕生日・・・。
その時にふっと脳裏に浮かんだのは、左之助の嬉しそうな微笑みでござりました。
何が起これば、嬉しそうな微笑みを浮かべるのだろうか・・・。
それはきっと、剣心のほうから何らかの動きを見せた場合ではないのか。
そういった流れでつらつらと考えているうちに・・・白梅に惚れる剣心の姿が浮かんで参ったのでござります。
・・・そんなこんなで、今回の物語は出来上がってしまったのでござる(笑)
しかし・・・
実際は、少し違った出来具合になったようで・・・(^^;)
当初、考えていたものと少し違うような・・・はてさて? でも、それは何であったのかと問われると・・・
これがまた、よくわからないのだから質が悪い(-_-;)
・・・いずれにしましても。
今回もまた、あまり、まとまりのない拙作で申し訳ござりませぬ(-_-;)
特に、詩的な表現が目立つような気も致すし・・・。
それでもお気に召して頂ければ、幸いでござりまする(^^;)
お目汚し、まことにありがとうでござりました! m(_ _)m
かしこ♪
03.02.11