滾々と沸く泉のように、水底まで透けて見えるのではないか・・・
 森の奥深い場所にて眠る、秘められた存在を彷彿させるほどに、
 眼下にある肉体はあまりに神々しく、眩い。
 指先を伸ばして触れることが罪、そのものになってしまいそうな・・・

 百戦錬磨の男ですら、躊躇いがちになってしまう。

 でも・・・

 「俺は、触れてもいい・・・」

 自分が手を伸ばして触れても、撫でても・・・唇を寄せても、この身体は怒りを滲ませない。
 決して。
 拒むことはあっても、怒りはない。
 この事実は、男を有頂天にさせている。

 いつから、こんな僥倖に授かれるようになったのか。
 目の前にありながらも、決して触れることなどできないと思っていたのに・・・
 今。
 目の前にある。
 白魚のような背を見せて、横たわっている。
 昼間とは思えぬほどの薄暗さの中・・・
 ぼんやりと浮かび上がる裸体は、男を恍惚とさせる。

 「・・・何を、しているのでござるか」

 神々しい肉体から、凛とした・・・されど柔らかな声音がこぼれ出る。
 首筋を潤していた赤毛、少しく身を捩ってその顔、男へ見せ。
 ・・・唇が。
 花びらとなって華やいでいる。

 「きれいな背中だな・・・と、思ってよ」
 「何を馬鹿なことを・・・」

 赤毛の人は忍び笑う。

 「だってよ・・・不思議でたまらねぇんだよ。おめぇの身体の、どこからあんな剣術が出てくるのかなぁってよ」

 彼の言葉に、赤毛の人はゆるりと身を起こす。
 四方に散らしていた着物を引き寄せ、気怠く鬢、掻き上げて。
 絹糸のような髪の毛、銅色で肩、潤し。

 ・・・と。彼のその動き、糸の切れた操り人形のように静止した。

 「・・・おろ・・・?」

 耳をそばだてる。
 薄暗い室内、音の存在は、目の前にいる男の声音のみのはず。
 これは・・・

 「雨・・・でござるか・・・?」

 微かなる雨音が、耳朶へと囁きかけてくる。

 いつから降っているのか。
 そもそも、いつからここにいるのか。
 確か・・・ここへ来たのは昼の・・・

 「・・・なんだ、帰るのか? 剣心」
 「そのつもりだが・・・雨が降っているのでござるな。全く、気づかなかった・・・」

 襦袢へ袖を通そうとして赤毛の人、苦笑する。
 男は、満面に屈託のない笑顔を浮かべた。

 「だったら帰るんじゃねぇ。まだ・・・いいだろ」
 「しかし、夕餉の支度が・・・」
 「どうでもいいだろ、そんなもんはよ。もう少し・・・ここにいろ」
 「左之・・・」

 やや強引な物言いに、それでも赤毛の人は苦笑で濁し。
 それが、男には少々気に入らず。

 「おめぇからここに来たのが運の尽きだ・・・剣心」

 腕が、赤毛の人を捕らえる。
 絡みつく。
 荒縄のように、絡みつく。
 解こうとしても・・・解けぬ。
 きつくもないが、ゆるくもない。

 背後から絡まれ、赤毛の人は再び、苦笑。

 「こら・・・離さぬか、左之」
 「嫌だね」

 項に鼻を埋め、男は否を唱えた。
 赤毛の人、唇を肩越し流して・・・
 意図を捉え、男は面差しを上げた。

 「ん・・・」

 ・・・雨の音が、聞こえる。
 サラサラと・・・か細く・・・

 雨の音が・・・聞こえる。
 サアサアと・・・儚く・・・

 部屋に。
 雨音と・・・睦なる囁き。

 「やっぱ・・・信じられねぇよな・・・」
 「・・・何がでござる」

 混じり合う吐息も間近に、二人の言葉は融合する。

 「こんな身体でよぉ・・・腕だって、俺よりも細いってェのに・・・強いんだよなぁ・・・。そのまんま見ただけだとよ、俺の方が強そうだろ?」
 「フフフ、そうでござるな」

 何でもないことを、この男は疑問に感じる。
 とりとめのない疑問、無のような疑問。
 掠めていくことが当然とすべき、風のような疑問を、この男は気にする。

 赤毛の人には考えもつかない・・・羨むほどの、無邪気な・・・

 「細くてもよ、こんなに男の身体してンのに・・・どうして俺ァ、おめぇに欲情するんだろうなぁ・・・」
 「それはこちらの台詞でござる。お主ほどの男ならば、女に不自由せぬだろうに・・・どうして拙者を欲するのでござる、左之?」
 「そりゃぁ、おめぇに惚れてるからに決まってンだろ」

 ・・・赤毛の人には。
 如何なる台詞が返ってくるのか、目に見えていた。
 それでも問わずにいられなくなるのは、なにゆえか。
 まるで、何度聴いても足らぬかのような・・・
 自らの心が一番、わからぬ・・・

 「なぁ、剣心。おめぇはどうして・・・その、俺に抱かれるんだ? 抱かれても平気なんだ?」
 「え?」

 思ってもみなかった言葉に、赤毛の人は純粋に驚いてしまった。
 腕を解き、思わず振り返った瞳には、男の不思議そうな面差しが。

 「おめぇだって『女』は知ってるだろ? つまりは、『女』が駄目だってことじゃないわけで・・・そんなおめぇが、男の俺に抱かれるってェのは、どんな感覚なのかなって思ってよ」
 「これは異な事を訊くでござるなぁ」

 瞳が溶けてしまうほどに笑って、赤毛の人は男を見た。
 薄明かりの中、その笑顔は眩いほどに・・・

 「左之でなくば、肌は許さぬよ。他の男が触れようものなら、直ちに斬り伏せるでござる」
 「へぇ? 不殺の誓いを破ってもかィ?」
 「あぁ、そうでござったな。ならば今後、悪さの出来ぬように、男の証をちょん切ってしまおう。あ、腕を切り落として目をつぶしてもよいでござるな」

 笑いながら淡々と告げた赤毛の人に、男は心ならずも怖気を走らせた。
 赤毛の人、敏感に彼の心理を察知する。
 瞳が、悪戯っぽい輝きを放つ。

 「おろ。恐ろしくなったでござるか、左之?」
 「・・・おめぇがそんなに、情の深いヤツだとは思わなかったぜ」
 「それはまだ、拙者を知らぬ証拠でござるよ」

 わざとらしく身震いして見せた彼に、赤毛の人は微笑みを浮かべてそう言った。
 男の瞳を覗き込み、頬へ手のひらを寄せてなお、唇は紡ぐ。

 「拙者はな、左之。人に関わってしまうと、尋常ではない感情移入が始まってしまうのでござるよ。恐らく今まで・・・抜刀斎であった頃、ずっと心を閉ざし続けたためでござろうが・・・」
 「何だ? その反動で感情移入が激しくなるって言うのかよ?」
 「あぁ・・・だから、拙者は流浪人・・・。流れていれば、必要以上に関わりを持たなくてすむでござる」
 「・・・だろうな。おめぇは人と関わることを嫌いながらも、困っている奴を見ると黙っていられねぇ。なんだかんだって、心が動きやすいよなぁ・・・」

 男の頬を撫でる、赤毛の人。
 その手のひらの感触を、男は目を閉じ、感覚を委ねる。
 逆立っている心が、平安を取り戻していくように・・・
 平安であったものが、さらに安堵を得ていくように・・・

 「だがよ・・・だったらなおさら、どうして俺には許してくれるんでェ。もちろん・・・俺に惚れているからだよな?」
 「さあ、それはどうでござろうな?」

 男の、露わになったままの胸乳へ頬を寄せ、赤毛の人はしきりに忍び笑う。

 「けれど・・・お主だけは、左之助だけは違うでござるよ。お主は・・・身体ではなく、拙者自身を抱こうとしてくれる・・・男としての・・・拙者自身を見つめようとしてくれるのがわかるゆえ、左之助にはすべてを許せるのでござるよ」
 「剣心・・・」
 「さもなくば・・・甘んじて、この身を捧げはせぬよ」

 微笑が、美しいと思えるのは・・・
 神々しい人であると、思っているからなのか。
 どんなに手を伸ばしても届かない・・・
 たとえ今、目の前にいて抱きすくめても、
 到底、この心には・・・意志の強さには届かない・・・

 「剣心・・・」

 それでも、男はあきらめることはないだろう。
 届かないと知っていても、
 努力を怠ることなくただひたすらに、
 この赤毛の人を追い求め、恋い焦がれていくのだろう。
 これから・・・ずっと・・・

 「だったら・・・もう、流浪人じゃねぇよな」
 「え?」
 「必要以上に、関わりを持っちまっただろ? もう・・・戻れないぜ、剣心。おめぇはずっと、俺の側に居るんだ」
 「左之・・・」

 赤毛の人は膝立ちになり、
 両手の中、男の面差しを包み込み。
 抗うように突き上げる黒髪を撫で・・・

 「拙者、この長屋が・・・この部屋が好きでござるよ。左之の匂いで満ちているでござるから・・・」
 「・・・答えになってねぇぞ、剣心」
 「そうか?」
 「はぐらかすな」

 わずかに自分を見下ろしている赤毛の人を、男はかつてないほど、真剣な眼差しで見つめた。
 決して崩さぬ微笑が、先ほどまで美しいとさえ感じていた微笑が、
 妬ましく、憎らしい。

 「しかし・・・」
 「何だ?」
 「拙者、既にがんじがらめに縛り上げられているでござるよ。戻りたくとも、戻れぬ」
 「あ?」
 「・・・わからねば、それで良いでござるよ」

 喉の奥でくぐもった笑いを響かせる、赤毛の人に。
 男は、ムッとして唇を尖らせる。
 その様が、いっそう笑いを呼び起こしてしまうことを男は、わからない。

 「あ、それと・・・」
 「何だッ」
 「時々は、布団も干さねばならぬよ? 少々汗臭くて、敵わぬ」

 ・・・つい、
 男は笑ってしまった。
 いかにもこの男らしいと思ったからだ。
 今度は赤毛の人が頬を膨らませ、男を睨め付けた。

 「なんでェ。今、俺の匂いがあるから好きだって、言ってくれたばかりじゃねぇか」
 「確かに、左之の匂いであふれてはいるが、布団は強烈でござるよ。何しろ・・・」

 画然、
 赤毛の人、頬を朱に染め抜いた。
 先を促すように見つめてくる男の瞳に、彼はそっと、耳朶へと唇を寄せて・・・

 「・・・ククっ」

 耳打ちされた彼の一言、
 こらえきれず、男はまたしても笑ってしまった。
 赤毛の人、赤面してしまって何も言えずに俯くしか、術はなく。

 「そうかィ・・・そりゃ、たまらねぇよなぁ」

 トン。
 指先にて男、赤毛の人の肩を押した。
 不意を突かれ、彼は再び褥の中へと倒れ込む。
 その、上を。

 男は覆い被さった。

 「だったら・・・もっと染み込ませてやるよ、この布団に」
 「左之・・・」
 「生憎と、今の時期は梅雨だからな。布団を干したくても干せねぇ。だからよ、今のうちに思う存分、染み込ませてやるさ」
 「そ、そんな・・・」
 「おめぇの匂いも一緒に染み込ませれば・・・俺も、独り寝が寂しくねぇってもんだ」

 赤毛の人、反論しようと唇を開きかけたが・・・
 あえなく、陥落。
 唇で自由を取り上げられ、
 冷めかけていたはずの身体、幾度目かの熱を帯びさせてしまう。

 「ふ・・・左之・・・」
 「おめぇの声・・・もっと聴かせな。よがり声・・・たまんねぇんだよ・・・」

 ・・・いつだって・・・
 この声に、この身体は、過敏な反応を示す。
 石にでもなったかのように、動けなくなってしまう。

 「左、之・・・っ」

 声、だけではない。
 その心にも・・・縛り上げられて・・・

 「今日は・・・帰さねぇよ、剣心・・・」

 ・・・狭い室内空間。
 満ち満ちたはずの、甘い声に艶なる睦言。
 まだ、足らぬか。
 もはや、破裂寸前。

 が・・・

 雨はまだ、止みそうにない。




     了


「漆黒の刃」http://www3.to/yaiba

(タイトル画像:きよらん殿♪)





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拝啓   〜 「梅雨、ある一幕」編(改訂 01/7.20)

 ・・・どうして出来上がったのでござるかな、コレは(笑)。
 本当は、「雨の中の金平糖」を書いていたのでござる・・・いや、いわゆる「執筆中」でござった(笑)。そんな中、行き詰まった時でござろうね、恐らく。徒然に、何気なく書いてみればあぁ、こんな代物がぁ〜・・・という具合に完成(笑)。
 とりあえず、左之と剣心に語らってもらった、というところが本音でござるかなぁ。
 本当に何も考えてなかったでござるから(笑)。
 それゆえ、自分でもビックリ!ということが・・・(笑)
 それは「布団」(笑)。まさか剣心があのようなことを言うとは、思ってもみなかった・・・(笑)。
 剣心の「布団発言」は、感想を頂いた方々からも相応に、それは気になる、まさかあんな展開になるとは・・・というようなお言葉を賜ったでござる(笑)。
 しかしコレは本当の意味で「ある一幕」。平々凡々な時の流れ・・・でござるなぁ・・・(笑)。
 文体の硬さは相変わらずでござるがね(涙)。

かしこ♪