「やはり、お主は強くなったでござるなぁ、左之」
「あぁ? そいつは、どういうこった」
廊下を歩みながら、左之助の前を行く剣心はしみじみとそう言った。
「お主と初めて会った時分は、まだ気配を感取ることはできなかったでござろう?」
「あぁ、そういえばそうだったか」
「けれど、今は拙者と同じくらいに気配を感じ取っていた・・・たいしたものでござるよ」
「まぁ、おめぇと始終一緒にいちゃぁな。自然、身に付くわァな」
共に出逢い、刃を交えてからというもの、恐らく「闘い」と名の付くものにはすべて、肩を並べ合ってきた。
左之助からしてみれば、日本一の剣客と共に闘ってきたのである、共鳴し合って必然、強さを高めていくことは自然なことのように思われた。
・・・知らず知らずのうちに・・・自分の強さが、左之助に影響をもたらしている・・・
剣心にとっては、自らの内側へ浸食されてくるような感覚。だが・・・痛くもなければ辛くもない、むしろ・・・
「・・・癖になりそうなほど、甘いものでござるな・・・」
「ン? 何だって?」
「いや、独り言でござるよ」
剣心がそう、会話に見切りをつけたとき。
二人は道場の正門玄関へとたどり着いていた。そこには・・・
「よぉ、斬左! 探したぜぇ? こんなところに隠れ家があったとはなぁッ」
威勢のいい一言を発してきた男に、左之助は見覚えがあった。が、名を呼ばれたのにそれが誰なのかがわからない。
わからなかったが、不愉快さと愉快さとが同時に、胸に沸き上がってきた。
「何だ、大勢で神谷活心流の門を叩きにきたのかィ? それにしちゃ、ちぃッと刻限が遅すぎやしねぇか」
そう。目の前に忽然と現れたのは四十人近くの荒くれ男達。そのどの面子もさしあたって、気質のものとは到底思えぬ風体である。
各々、自信のある得物を懐に呑んでいること自体、端から気質など・・・まして大人数で押し寄せてくるわけがない。
漂わせている空気の殺伐さから、彼等を見遣る剣心と左之助には、既に何が目的で姿を現したのか合点していた。
「・・・左之」
「ん?」
「どうやら、お主への客人のようでござるなぁ」
「あぁ、そのようだなぁ。けどよぅ・・・俺、あいつらの顔、見覚えあンだけど・・・」
「覚えてはおらぬのだな?」
「そう」
二人の他愛のない会話を聞いていた男達は、俄然、息巻いた。特に左之助の態度にはただならぬものを感じてしまったらしい。
「てめぇ! 忘れたってぇのかッ? この俺を・・・武田組のモンと知って・・・!」
「武田組ィ? ・・・そういえば、そういう奴らを相手にしたこともあったっけか」
「斬左ァっ! それ以上虚仮にしやがるとただじゃおかねぇッ」
「へぇ? どうするってェんで?」
にわかに。
左之助を取り巻いていた空気が変貌した。
剣心、咄嗟に察して片腕を伸ばす。
「左之、わかっておるだろうな?」
「わかってンよ。手加減しろってことだろォ?」
「無論だ。それから・・・」
「あぁ、言いてェことはわかってるって」
小うるさそうに片手を振りながら、左之助は悠然と外へと歩み出していく。
無論、剣心もその「惡」を追う。
「ここは、おめぇの領域だ。俺がとやかく言う筋合いはねぇだろ。それに、文句を言われなきゃならねぇのはむしろ、俺の方だ」
両手の拳を握りしめ、空気を震撼させるように骨を鳴らし、左之助は剣心を顧みることなく言った。
「俺の厄介事を、道場に持ちこんじまった。この始末は自分でつけるのが筋だが・・・おめぇの領域である以上、介入を拒むことはできねぇよ」
草履の音も微かに、背後にピタリと身を寄せてきた剣心の気配。
それが、左之助には心地よく感じていた。
・・・わかる。
今、背中合わせに立っていることが。
闘いに直面するたびに、こうして背を合わせてきた。
今までそんな相手に巡り会うことなど・・・いや、背中合わせで戦える相手ができるとは思ってもみなかった。
それが、ピリピリと張りつめる空気の中でありながら、心底安堵してしまう己が心情。
・・・身も心も、相手を・・・剣心を信じ切っている証拠だった。
それは剣心とて、同様の思いだった。
かつて、人斬りを生業としていた頃は誰が、背を預けるほどの相棒が出来るなどと想像ができただろうか。
思えることと言えば、ただただ、己が剣をふるうことのみ・・・。
・・・本当に時の流れとは・・・時代の流れとは、こうも人を変えてしまうものなのだろうか・・・。
確実に、心底。
背中を預けられる相手が目の前に現れようとは・・・。
剣心は、無意識のうちに微笑を浮かべていた。
「さてさて! こうして出てきてやったんだ。少しは、楽しませてくれるんだろうな?」
「こら、左之助。相手を挑発するものではござらんよ」
窘める剣心の声は、しかし逆に、男達を逆なでさせることとなる。
先ほどから二人の会話は、彼等の神経をズタズタにしていたことは間違いない。
「畜生、てめぇらっ! 黙って聞いてりゃ、ぬけぬけと・・・ッ」
「うるせぇッ! てめぇらも男だろうがッ。だったら四の五の抜かしてねぇで、さっさとかかって来やがれッ」
瞬間、
張りつめていた糸は、切れた。
「おぉぉっ・・・!」
四方から隈無く、凄まじい殺気が二人に襲いかかった。
が、剣心も左之助も微動だにしない。
男達の殺気が怒りに変わったその直後、
左之助の口許に、冷たい笑みが浮かんだ。
「オラぁッ!」
節くれ立った拳が血走り、唸りを上げて空を切り裂き、
シュッ・・・
白き細指、神業の如く素早さにて愛刀、引き抜いた。
二つの「得物」が空に姿を見せた、それらを目の当たりにした時にはもう、
「がはッ!」
「ぐぁっ」
醜い悲鳴が搾られていた。
すると、
剣心と左之助の前方が一気に、開けてしまった。
それはまさしく、花火の火花が四方へ散っていく様の如く。
さすがに男達、この有様に一瞬、息を呑んだ。
「どうした、おしまいか? そっちから来ねぇんなら、俺から行くぜ? なァ、剣心」
背後にいるであろう小柄な相棒に向かい、左之助は楽しそうに声をかけた。
「あぁ。不本意な闘いではござるが、これ以上ここに迷惑をかけたくはござらん。お帰り願えぬのであれば、打ち払うまで」
チャキ、と鍔鳴りが再開の合図となった。
今度は剣心と左之助、一気に男達の中へと躍り込むなり、有無を言わさぬ圧倒的な破壊力でもって叩き伏せた。
男達が見たものは。
闇夜を切り裂きつむじを起こす、鉄のような拳の乱舞。
闇夜に舞い上がる、緋色の袖より垣間見える白刃の輝き。
そして、
「惡」と「十字傷」。
「うああぁぁッ」
それはあっという間の出来事。
剣心と左之助の周りには、無数の屍・・・いやいや、無数の昏倒した男達が転がっていた。
意識がある者、ない者、呻く者、誰一人立ち上がってくる者はいなかった。
「何でェ、もうおしまいかよ? 面白くねェなァ」
「楽しむものではござらんよ、左之・・・ん?」
剣心、愛刀の逆刃をひとふり、鞘へ納めると闇の方を見遣った。つられて左之助、視線を向ける。
するとどこからともなく無数の足音が聞こえ、やがて、
「警察であるッ、神妙にしろッ! 大人しく縛につけッ!」
「おろろ?」
何と、警官隊のお出ましではないか。
剣心と左之助が目を白黒させていると、警官隊の方でも目を白黒。何しろ、捕まえに来たはずの男達は既に、地べたを這いずるようにして昏倒していたのだから。
・・・とにもかくにも。
どうやら、男達の不審な行動を目撃した人がいて、警察に通報したらしい。しかもそれが、手配中の者が数名紛れているらしいという情報も飛び込んできたものだから、慌てた警官隊は人手を集めて駆けつけてきたのだった。
警官達は拍子抜けしてしまったが、お縄にして帰るだけだったのだから、おまけにその手柄が署内でも噂の「赤毛の優男」ともなれば、黙って礼を述べるしかない。
男達は一人残らず、警察へとしょっ引かれていった。
辺りが一瞬、静寂と化す。
「・・・やれやれ。やっと静かになったでござるなァ」
「あー、全くだ。これでゆっくり酒が飲めるってェ・・・」
「まぁだ飲むつもりなの? あんたは」
突如鋭い言葉を投げたのは、いつの間に姿を見せたのか恵である。その傍らには燕の姿もあったが、妙におどおどした様子で彼女の背後へ隠れている。
「どうやら、騒ぎは収まったようねぇ。最も、あんたは酒を飲んでいるより、とっても楽しそうだったけど」
「へっ、当ったり前のことを抜かしてンじゃねェよ! 俺ァ、酒よりも喧嘩の方が好きなんでェ」
「・・・野蛮人」
「何をッ? この女狐ッ」
「あー、こらこら。燕殿が怖がっているでござるよ」
いつもの刺々しい会話の中に、愛嬌たっぷりであることは剣心もわからぬわけではなかったが、それらを感じ取れるほど、燕はまだ成熟してはいない。
すっかり怯えきってしまって、恵の背後でますます、身を小さく竦ませていた。
「あら、ごめんね燕ちゃん。・・・それじゃぁ、剣さん。私達はこれでお暇しますね。騒ぎも収まったようですし」
「おろ、泊まってはいかぬのでござるか? せっかく布団も用意してござるのに」
「えぇ、お気持ちは嬉しいのですけどね、遠慮しておきますわ。明日も早いですから」
医者を目指している恵は、毎日のように町内にある診療所に顔を出している。手伝いをしながら勉学に励んでいるのだが、その熱意は周りを圧倒させている。
彼女の思いを知っているだけに、剣心とて強く、引き留めることができない。
「左様でござるか、残念でござるなぁ・・・燕殿も?」
「あ・・・はい、今日は、ありがとうございましたっ」
慌てて飛び出し、燕は深々と頭を下げた。つられて剣心、頭を下げてしまう。
「こちらこそ、今日はお出でいただいてかたじけない。では、お二人を送っていかねばな」
「おっと! そいつは俺の役目だ。おめぇは、ここにいな」
「左之が送ってくれるのでござるか?」
「あぁ。俺が残って片づけなんざ、まっぴらゴメンだからな」
彼の言い分に、剣心は思わず苦笑。左之助は踵を返し、トン、トンと恵と燕の肩を叩いた。
「そういうわけで! 俺が送ってくぜェ。女の夜道は物騒でいけねェ」
「・・・物騒なのはあんたでしょ」
「何ッ?」
「まぁ、いいわ。不本意だけど頼むわね、左之助」
「・・・もっと素直に言えねぇのか、おめェはよ」
「あら、剣さんになら私、素直よ?」
にっこりと微笑みざま、
「では、剣さん! お風邪など召しませぬように。おやすみなさい」
ペコリと頭を下げる姿は左之助など、呆れてものも言えない。
剣心、小さく手を振った。
「あぁ、おやすみ。恵殿も燕殿も、気をつけて帰るでござるよ」
左之助は、歩き出した二人の背後にぴったりと寄り添っている。
その面差しが、にわかに背後を顧みた。
唇が、笑っている。
言葉には出さなかったが、剣心には彼の心理が見えたような気がした。
「・・・やれやれ」
再び苦笑とため息を刻んだが、それらが左之助に見えたかどうかは、定かではない。