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「・・・左之・・・」
優男が見た男の面差しは、苦渋に染め抜き唇を噛んだものだった。
眉間に刻まれた皺がいっそう深く、瞳が小刻みに震えている。
唇が切れているのだろう、一定の間隔で落ちてくる血は、生温かかった。
「・・・泣いている、のか・・・?」
「馬鹿野郎ッ、誰が泣くかッ!」
「しかし・・・」
「俺ァ、悔しいンだ、情けねぇんだよッ! 情けなくて、情けなくて・・・どうにかなっちまいそうだ・・・」
何が起こったのか・・・?
朧ながらに考えてみるが、熱に浮かされた意識ではどうにも、考えがまとまらない。
自分が熱に犯されていることは、意識が浮上してから一寸後に認識できていた。
おそらく、傷から発熱を引き起こしているに違いない。
それが容易く理解できたものの、背の傷が疼いて身動き取れぬ。
いや、この男が上空を支配している限り、身動き取ることなど夢のまた、夢だ。
そんなことよりも・・・
「左之・・・どうした・・・? 何を、そんなに苦しんでいる・・・? 拙者の熱ならば・・・大丈夫でござるが・・・?」
「熱もそうだ、何もかもそうだ! 俺は、おめぇの力になっちゃいねぇ、支えにもなれてねぇ! 俺ァ・・・奢ってただけなんだ・・・おめぇには俺しかいねぇって、心のどこかで思ってたから・・・だから、俺は追いかけてきて、それから・・・ッ」
「左之・・・左之? 落ち着け・・・。とりあえず、その唇をどうにかせねばなぁ・・・」
止まる様子も見せない出血を、優男は苦笑して指を寄せた。親指の腹で軽く拭い取ると、おもむろに上体を起こし。
すっ、と。
唇を委ねた。
背に、激痛が走り・・・
優男の口腔に、鉄の混じった味が広がっていく。
二度と味わうものかと誓った味。が・・・
この男の血ならば、味わい尽くしても飽きたらぬ・・・
優男、自らの胸底に眠る鬼の存在を垣間見た。
「何を・・・そんなに卑下している。左之らしくない、な・・・」
唇を離せば、男はすっかり冷静さを取り戻していた。
再び藁の中へと身体を横たえた赤毛の人に、男はだが、苦渋の表情を崩すことはなかった。
「おめぇの力に・・・なれてねぇからよ。おめぇが一番苦しんでいる時に、俺は助けてやれなかった。俺は、ただそれだけの存在だったのかって思ったら・・・無性に悔しくて情けなくて・・・悲しくなってよ・・・」
「左之・・・。拙者、何やら苦しんでいたのでござるかな?」
変わらぬ苦笑の表情で、優男はやんわり問う。
男、つられるようにコクリ、うなずいた。
「訳のわからねぇ声をあげてよ、人殺しはもう嫌だの何だの、言ってたよ。それから・・・」
「それから・・・?」
「・・・『ともえ』って・・・」
「!」
優男、表情が凍った。
わずか一瞬のことではあったが、男はそれを見逃さなかった。
「・・・『ともえ』って・・・誰だ・・・よ・・・?」
声が、掠れていた。
無意識に、生唾を飲み込んでもいた。
喉仏が揺れ動いた仕草に、優男は苦笑を浮かばせる。
「・・・そうさなぁ・・・。かつて拙者が唯一、心を許した者・・・とでも、言っておこうか・・・」
「剣心・・・」
「言わなくていい、左之。だが・・・もうしばし、時をくれぬか。今はまだ・・・拙者の心の整理がつかぬ。まだ・・・整理が・・・」
「構わねェっ!」
グッと。男は優男を抱きすくめた。藁ごと、身体ごと。頬や鼻先をチクチクと刺してくる。
「俺は、いつまでも待つ。待つから・・・おめぇを待つからもっと・・・もっと、俺を頼ってくれよ・・・俺を求めてくれよッ! 頼りねぇかもしれねぇが・・・俺は、俺はおめぇの背中を守ってやりてぇ!」
「左之・・・」
・・・不思議なことに。
優男はクツクツと忍び笑いを洩らしていた。
どうして笑っているのかさっぱりわからなかったが・・・
「頼りない、だと・・・? そんなこと、あるはずがない・・・」
「剣心・・・?」
「お主がいると・・・拙者は限りなく頼ってしまう、甘えてしまう・・・。己に対して厳しくなれぬ・・・。だから、お主に黙って京へ来た。自分に隙が出来てしまうから、それでは闘えぬから・・・」
ゆるゆると男の頬を撫でながら。
優男ははにかんだ微笑みで彼を見上げている。
「それになぁ・・・むしろ、背中を守りたいのは拙者の方でござるよ。拙者が、お主の背中を守ってやりたい・・・。拙者とは違って、お主はこれからの時代を生きる者。これからのすべてを担う者。左之・・・拙者は、お主の背中を守って、送り出せればそれでいい、それで・・・満足・・・」
「馬鹿を言うんじゃねぇッ!」
激しく頭を振って、男は否定する。
「もっと・・・もっと、欲を出せよッ。どうしておめぇは、そうやって一歩でも二歩でも離れてやがるッ?近寄ってこねぇッ? どうしてそんなに・・・冷めてんだよ・・・俺は・・・俺はこんなに、おめぇに関しちゃ狂うほど熱くなってンのによッ!」
「左・・・」
「それとも何か? また、いつでも俺達から・・・俺から離れられるように意識して、近寄ってこねぇのかよッ? そんなの・・・そんなのはもう、絶対に許さねぇッ」
優男はじっと見上げたまま、瞬きせぬまま。
いつしか、その表情からは微笑が消えていて。
咆吼し続ける男を、見ていた。
「畜生・・・畜生ッ! 何だよ、このもどかしさはッ。何だよ、この苛立ちはッ! 俺ばっかり・・・俺ばっかり、空回りしてやがるッ。この熱いモンだけが、俺ン中で荒れ狂って出口を探してやがるッ。これも・・・これもみんな、おめぇのせいだぜ。わかってンのか、剣心ッ!」
届かない、届かない・・・
届かないことがこれほどもどかしく、これほど感情を掻き乱すものとは・・・
伝わらない、伝わらない・・・
伝わらないことがこれほど悲しく、情けないこととは・・・
男は、表情を見られまいと顔を背けた。
藁を掴んでいる両腕が、ぶるぶると震えている。
「左之・・・」
口をつぐんでしまった男に。優男はようやく言葉をかけた。彼の腕にそっと・・・触れながら。
「ここまで追いかけられてきて・・・今更、距離を置くことなどもう・・・拙者にはそのような芸当、出来ぬよ。ただ・・・戸惑っているだけなのだ。戸惑って・・・いるだけ。拙者は流浪人、いつ姿を消しても未練が残らぬようにしてきたつもりだ。それが突如、お主が目の前に現れたのだぞ、戸惑わぬ方がどうかしている」
頬へと手を伸ばし、血にまみれる唇に触れて・・・赤く汚れた己が親指、ぺろりと舐めた。
「今までは・・・だから、深入りしないようにしてきた。己が心、荒ぶらぬように律してきた、それがお主達から・・・お主が、突き崩した」
「剣心・・・」
「冷静を装ってきたのに、今更それを崩せ? 素直になれというのか? 熱くなれだと? そんなこと・・・そんなことを言われてしまっては、拙者は・・・ッ」
どうすればいいのか、わからなくなる。
かつて、このような局面に立たされたことは何度もあった。
それは命と命を削り合う中の、ギリギリの一戦での決断。
今まさに、同等の精神状態に優男は追い込まれている。
いいのか、本当に。このまま・・・このままこの男に縋っていっても・・・ッ
「何を・・・何を悩む必要があるってェんだ、剣心」
彼には優男の心情がわからない。遠い雲を、目の前の風を掴むようで取り留めもなく、感触がない。
だから手で探って、引き寄せるしか・・・ないッ。
「俺がおめぇの、おめぇが俺の背中を守りたいって思うことは、言い換えてみりゃ『良き仲間』ってことを認識している証拠じゃねぇか。違うか?」
「・・・・・・」
「そんな思いがお互いに生まれてるってェのに、グダグダくだらねェことに悩みやがって・・・気がしれねぇやッ」
「・・・左之・・・」
「来いよ、思い切って俺ンとこへ来いッ! 何がなんでも逃がさねぇ。首に縄ァくくりつけて、絶対に離しやしねぇからなッ。もう二度と、おいてけぼりは御免なんだからなッ!」
瞬間。
優男は悟った。
自分が負わせてしまった心の傷を、その深さを、彼は知ってしまった。
拭えぬ不安を、植え付けてしまった。
たった一つの、行動で。
「・・・左之・・・左之・・・っ」
もう、言うべき言葉など見つからぬ。
ただただ、自ら犯した愚行をひたすら、悔やんだ。
いや、悔やみながらあの時、出立したのではなかったか?
一抹の未練もなかったといえば、嘘になるではないか。
拙者は、取り返しの付かぬ傷を、この男に負わせてしまった・・・
「左之・・・すまなかった・・・」
・・・初めて。
優男が謝罪を口にした。
別れてから初めて、対面した時すら、そんなことは口に出さなかったというのに。
男は拍子抜けした。
「まさか・・・まさか、お主がそこまで想ってくれているとは露ほども思わなかったゆえ・・・」
「・・・ケッ。俺も見くびられたもんだぜ」
「左之・・・」
すっかり臍を曲げてしまったのか。
しっかりと顔を背けてしまって二度と、優男のほうを見ようともしない。
けれども・・・
優男の表情には、再び微笑が戻ってきていた。
もう、愛想笑いではない。
心底、男を想うがゆえに滲み出てきた微笑は、わだかまっていたしこりを溶かすには充分だった。
「許せ、左之」
「許さねぇ」
「まぁ、そう言わず。許してくれぬか、左之助」
「どんなに謝ったって許しゃしねぇよ。俺ァ、怒ってんだッ」
「ならば・・・どうすれば許してくれる?」
つと。
男の唇が制止した。
まじまじと優男を見つめ降ろす。
「これでは・・・駄目でござるかな」
にっこりと微笑み、優男はそっと、男へと唇を寄せた。
軽く、触れあう程度の口づけだったが、男にはそれが・・・
「・・・卑怯だぜ、剣心。そいつぁ、卑怯だ」
「そうか?」
「そうさ。俺が・・・我慢できなくなることァ、百も承知じゃねぇか」
「あぁ・・・承知でござるよ。けれど、拙者はこのようなことしかできぬゆえ・・・」
「・・・本当に、おめぇは馬鹿野郎だなぁ。俺ァな、側にいるだけで充分なんだよ。それ以上のことァ、求めてねぇよ」
やや赤らんで言った男の表情が、少しく照れを滲ませていて、優男に忍び笑いを誘った。それが男には気に入らず面差しを曇らせるも、優男、一向に意に介さぬ。
「・・・それ以上のことを、求めてくれ、左之」
「・・・え・・・?」
思わぬ台詞に男、ぐるりんと目玉をひっくり返す。
「拙者を・・・食わぬか、左之」
「く、食うって・・・」
「拙者は・・・お主の側にいたい、片時も離れずっ。だから・・・お主に食われたい・・・食われて、何もかも忘れて・・・お主だけを、感じていられたならば・・・それだけで・・・」
「けっ、剣心ッ?」
「・・・二度は言わぬよ、左之。だから・・・拙者を、お主のすべてで壊してくれ・・・壊して、拙者にも壊せぬ殻を、壊してくれ・・・ッ」
いいざま優男、スッと身を縋らせるなり烈しく唇吸い上げた。
突然の大胆な行動に男、わずかばかりに後れをとったがすぐさま、呼応する。
肌に滲む汗が混ざり、擦り込ませるようにして肉体は蠢く。
唇は唇を貪り、
指が指、肌をまさぐる。
息も尽きせぬ呼吸の荒波、
たちまち陶然とした想いに二人は満ちた。
「あぁ、久しぶりだぜ・・・たまらねぇや・・・」
喉を鳴らして感嘆する男を、優男は恥じらって顔を背ける。
が、抗うこともなく藁の中に埋もれる彼が、男にとって愛しくて・・・
「でも、いいのか? おめぇ、熱が・・・」
「かまわぬ・・・かまわぬよ、そんなことは。拙者とて・・・久しぶりなのでござる、もう・・・こうして向き合っているだけでは、どうにももの足りぬ。遠慮は入らぬから、拙者を・・・壊してくれっ。お主の前で、今宵は壊れていたい・・・ッ」
・・・これが、第一歩なのか。
今まで心中を一切見せなかった優男の、本音の一編。
・・・ここからが、本番なのかも知れない。
今宵を境に、ここから本当の想いが始まるのかも知れない。
秘めていた想いをさらけ出し始めた優男・・・。
東京でも肌を交わしていたとはいえ、心まで交わしていたかと言えば、些か自信はない。
けれども、男は確信する。
すべては、ここから始まるのだと。
やっと、本気でこの男とまじわえるのだ、と。
男は、嬉しくなった。
「あぁ、壊してやらぁな。折しも外は嵐だ。まだ止みそうもねぇし・・・今宵一晩かけて、足腰立たなくしてやるよ、剣心ッ」
満面の笑みを浮かべた男に、
優男は嬉しそうに、はにかんだ笑みを浮かべて見せた。
焚き火の炎、いつまで燃ゆる?
熱く、熱く燃えてもお前を見るものはもう、いない。
欲しいのはお前の灯り、
灯りに浮かぶ、裸体のみ。
裸体に滲む、雫のみ。
雫が滑る、素肌のみ。
素肌を貪る・・・
伸びる影は延々長く、
演じるはひたすら、絡み合う二人。
壁の向こうは嵐の最中、
雨でも風でも、槍でも刃でも、
二人には何ら聞こえぬ、知りはせぬ。
あるのは互いの温もり、互いの睦言。
互いの瞳に、互いの・・・
ガタッ、ガタタタタッ。
ビョォッ、ビョオォォ・・・ッ。
どれほど存在を誇示しようとも、
二人には聞こえぬ、全く聞こえぬ。
誇示すればするほど、嵐はますます、激しくなる。
激しくなって、二人はさらなる吐息の世界へ・・・。
了
背景画像提供:「ぐらん・ふくや・かふぇ」さま http://www4.inforyoma.or.jp/~asaru/cafe/index.html
〜 HP「千寿庵」さまへ捧ぐ 〜
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m(_ _)m
拝啓 〜 「風鳴り」編(改訂 02/04・21)
斉藤千寿さんが左之剣サイトを開設されたお祝いに、差し上げた一編です(^^;)
こうして読み返してみると、文章がかなりコッテコテですね〜(^▽^;) 言葉やら
何やら、試行錯誤していた時代がそのままに出ちゃってます。
物語の筋としては、今でも気に入っている一つです。でもやっぱり気になるのは
言葉や文章構成(笑)。これらがあるからこそ、今日の「ぢぇっと」が
あるわけなんですが・・・だからとはいえ、ちょっと気分は複雑です(笑)。
でも・・・三年前なんですよねぇ・・・これを書き上げたのは。それを考えると・・・
コテコテなのも仕方がないかなぁ、と(^^;)
苦くも良い意味で、思い出深い一編です(*^^*)
お目汚し、ありがとうございました!
かしこ♪