[     3 ]


 稽古の日は、早めに風呂を沸かす。
 薫達が帰ってくる頃合いになれば、ちょうどよい湯加減になるから。
 そんな、細やかな気遣いが出来ることを左之助は知っている。
 剣心の道場での日常生活はすべて、網羅していた。

 雨の中の口づけは、剣心から力の存在を奪い・・・
 小さな体躯、わずかな重みを増して左之助の胸の中へ、落ち込む。
 頬を上気させた割に存外、冷涼な身体を左之助、膂力の一端にもならぬ力加減で抱き上げた。

 剣心は、何も言わない。

 ・・・湯殿は、微妙な薄暗さを保っていた。
 日中、先ほどまでの晴天ならば陽が射し込み、湯殿は明るく照らし出される。
 が、雨雲の眼下、夜ほどではないが闇の気配が満ちている。
 左之助は脱衣など無視し、言葉なく、そのまま湯殿へと入り込んだ。

 湿気。
 湯の気配。
 湯殿は一定の温度を保っている。

 やや、暑い。

 ・・・雨の音が、聞こえる。
 しと、しと。しとしと。
 ・・・雨の音が、くぐもる。
 くと、くと。くとくと。

 左之助は、剣心をそっと降ろした。
 爪先、檜造りの簀の子を捉えて立ち上がり・・・
 足袋もまた、雨粒で濡れ・・・
 指先、しっかりと己が袖を握りしめて離さない。
 赤毛。ぽたり、ぽたりと滴り・・・前髪、額に張り付いて。

 唇が、にわかに震えていた。
 瞼、閉じて・・・

 左之助を、見上げることが出来ない。

 剣心は視界を閉ざしたままゆっくりと後ずさり・・・
 壁を捉えるなり、背を預けた。

 もはや、立っていることもままならぬらしい。

 彼の行動にすべてを汲み取り、左之助は半纏を脱ぎ捨てた。
 肌に張り付き、脱いだ半纏は裏返しに・・・

 「剣心・・・」

 呼ばれ、
 無意識のうちに面差し、あがる。

 「!」

 見慣れている、そんなものは。
 左之助の胸乳など・・・

 そう、思うのにどうして、身体は熱くジンと火照ってくるのだろう。
 直視できないのだろう。
 胸の高鳴りを、抑えることが出来ないのだろう。

 左之助の胸乳は、雨粒に濡れて艶めいていた。
 わずかな明かりに光を帯び、ゆるく輝くその様が、
 肌を伝い降りていくその様が、
 褥のしざまを思い起こさせ剣心、攪乱する。
 ・・・漆黒の瞳が、
 「男」の輝きを放っていた。

 「目ェ・・・逸らすなよ、剣心」

 ついと、指が。
 剣心の頤を捻りあげた。
 薄い紫の、黒い瞳が反射的に開いて。

 「閉じるンじゃねぇ。・・・俺だけを見てろ」
 「左、左之・・・っ」
 「生身の金平糖は、今が食べ頃だって言ったろ・・・?」

 剣心の右手を掴んで左之助、自らの下腹部へと彼の指先を誘導した。
 ・・・布越し。
 白魚の指は、知る。

 「ほぉら・・・わかったか? わかったんなら、おめぇの金平糖も味あわせてもらわねぇとな」

 彼の不敵な笑みほど、阿片めいたものはないと、剣心は心底思うことがある。
 憎らしいほどに嫌な笑いであるのに、時として憎悪してしまうほどの情が身を苛むというのに、気が付けば左之助の、
 そんな笑みを期待している自分がいる。
 笑みとともに無骨な指が、この肌を侵犯することを心待ちにしている・・・

 思うだけで。

 吐息を、指を思うだけで。
 剣心の呼吸は容易く弾む。

 「左、左之・・・」

 声音が震えるのは、なにゆえか。
 彼と肌を重ねるのは・・・求められるのは初めてではない。
 だが何度、同じ状況に身を置かれても、剣心の心と体は一向に慣れない。
 慣れていくのは・・・快楽に沈むその、一瞬のみ。

 瞳、閉じられない。

 「剣心・・・」

 左之助の唇が、寄り添う。
 刻々と迫ってくる距離が、何という甘美な香り。
 本能的に瞼を落としてしまいながらも、薄く開いたままに左之助を・・・受け入れる。

 「う・・・」

 触れた瞬間に、左之助は剣心の唇を割り広げ。
 容赦なく、自らの先端を侵入させた。
 剣心、思わず背後の壁に爪を立て、左之助の勢いに屈してしまう。

 「ン・・・うぅ・・・ぁ」

 味わい尽くしているはずの唇は、何度重ねても、鮮明な感覚を伴って左之助を惑わせる。
 その正体を知ろうと、なおも舌を絡めていくのだが、細い喉を伝い降りてしまうのか一向に、姿を現そうとしない。
 惑わせるものがいったい、何なのか。
 唇を求めていく度に、肌を重ねていく度に、左之助は知ろうと躍起になる。
 それらの行為が、剣心の理性を穿つことを知りながら。

 「左・・・之・・・っ」

 解放された唇から、洩れる。
 言葉ではなく、吐息。
 吐息ではなく、喘ぎ。
 喘ぎではなく・・・

 「剣心・・・おめぇの身体、冷てぇな・・・。雨で冷えちまったか」

 いつしか。
 剣心の腕の、二倍はあるような左之助の両腕が細腰を捕まえていた。
 強く引き寄せ、胸乳に張り付いている着物、左之助の鼻先が器用に脇へと退け・・・
 探り当てられた華、唇でついばまれた。

 頭上から、吐息がはらはらと降りてくる。
 左之助はさらに、追い打ちをかけるようにきつく、吸い上げた。

 「左ぁ・・・っ」

 腰から、力が抜けた。
 壁に背を預けたまま、ずるずると下へと崩れ落つ。
 辛うじて左之助の腕で支えられながらも、
 立位は不可能。

 「どうしたよ、剣心? これぐらいで腰を抜かすたぁ・・・」

 体温が上昇しつつあるのか。
 左之助を見上げた剣心の頬は、赤く。
 瞳がにわかな、潤みを見せていた。
 膨れた唇が、何やら言葉を発しようと薄く開かれ、だが硬直したまま動かない。

 ・・・ふわりと。
 左之助は笑み。

 「剣心・・・」

 微かなる温もりは。
 剣心の躊躇いを氷解させる。
 彼の小さな口づけを、瞼を落として感じる剣心。
 荒々しさしか知らない愛撫の中に垣間見せた、やさしくも柔らかな・・・

 「・・・左・・・左之・・・」
 「言ってみろよ・・・剣心」
 「その・・・」
 「ん?」

 打って変わった穏やかな眼差しは、剣心を狼狽えさせた。それでも・・・
 唇は、こぼしてしまう。

 「は・・・早く、触ってくれ・・・っ」
 「どこをだ?」

 彼の意地悪な言葉に剣心、わずかに顔を伏せ。

 「拙・・・拙者の、すべて、に・・・だ・・・」

 ・・・これ以上のことは、言えない。
 隠れる場所があるなら、身を竦めて入ってしまいたい・・・
 そんな心境に苛まれ、剣心は左之助の胸乳へ頬を寄せた。
 今の顔を、見られたくなかったがゆえに。

 何気ない、些細な仕草だった。
 それが、左之助を沸かせた。

 「あぁ・・・いいぜ。思い知らせてやるさ。おめぇがどれほど、俺を欲しがってるのかを、な」

 その笑みを、待っていた。

 身を焦がす期待に、剣心は意識が遠のくのを感じた。
 彼の指が、着物を脱がす。
 彼の指が、袴を解く。
 彼の指が肌を伝い、
 彼の指が、下帯に・・・

 「あぁ、左之・・・左之・・・っ」

 我知らず、すすり泣くようにして剣心、男の名を何度も連呼していた。
 壁に爪を立て、男の気配が身を掠めるたびに肌を震わせ、
 吐息の一つに、呼吸が止まる。

 「壁に爪ェ、立てるんじゃねぇよ。立てるんなら・・・俺に立てるんだな」
 「左之・・・っ」

 画然、襲ってきたのは多大なる、圧迫感。

 己が胸乳に左之助の胸乳、
 大腿を裂かれて左之助の膝頭、
 腰を抱え上げられ左之助の両手、臀部を掴み。

 後には壁、
 前には、左之助。

 「んっ、はぁ、左之・・・ッ」

 あられのない声が、湯殿に響く。
 自分の声とも思えぬものが、喉を裂く。

 「はあぁぁ・・・っ」
 「何だ、今日はやけに敏感じゃねぇか」

 つぶされる。
 目の前のこの男に、すべてをつぶされる。
 身体も、心も、微塵に砕かれてしまう。
 だが・・・だが・・・ッ

 囁かれることが、卑下される瞬間が、剣心に媚薬以上の効果をもたらす。
 目に見えるほど震えながら、剣心は身悶えた。
 瞳を薄く開き、唇を噛みしめ、
 大腿を割られながらも何とか、閉じようと試みている。
 唇から・・・
 血が、滲んだ。

 「駄目だろ、そんなに噛むんじゃねぇよ・・・傷になっちまわぁ」

 楽しげな余韻を響かせて、左之助は舌を這わす。
 唇から・・・頤を伝っていく赤い酒を舐め取り、そのまま滑っていくように十字傷へ・・・

 「左之・・・ぁ」

 傷を舐められ、なぞられて。
 竦める肩を押さえつけ、左之助は執拗に味わった。

 「あっ、左之・・・もう、焦らすな・・・っ」
 「焦らしたつもりはねぇがなぁ・・・?」

 ニヤニヤと笑うその顔が。
 この世のものとは思えぬほど、淫蕩だった。

 「馬、鹿・・・左之っ。わかっているでござろう、に・・・っ」
 「何が?」
 「左之ッ」

 苦楽に喘ぎ、剣心は自ら左之助へと口づけた。
 もはや、理性はないとみえる。
 あまつさえ密着している己が腰、剣心は左之助の腹部へと擦りつけるのだ。
 彼の思わぬ行動に、左之助は薄ら笑いを浮かべる。

 「はしたないぜェ、剣心。我慢、できねぇのかよ」
 「左之・・・っ」
 「俺はまだ、楽しむつもりだぜ・・・?」

 それは、剣心にとっては地獄とも、極楽とも言えるものだった。
 狂気の沙汰ではない。
 このままでは・・・このままでは、身体が狂う・・・ッ

 「意地悪を・・・言うな、左之・・・っ。拙者・・・ッ」
 「だから・・・言ったろう? おめぇがどれだけ、俺を欲しがっているか思い知らせてやるってよ」

 傲岸な、勝ち誇ったような笑みが満面を満たした。
 怒りを覚えるであろう彼の表情も、だが、今の剣心にとってはすべてが許せてしまえる。如何なる表情も仕草さえも、乱暴な言葉すら、愛しく思えてしまうのだからどうしようもない。

 「左之、早く・・・早く・・・ッ」
 「はっきり言いねェ、剣心」
 「クッ・・・」
 「どうした? 言えねぇのか? 俺ァ別に・・・構わねェけどな。もっとその顔、見ていてェからよ・・・」
 「左ァ・・・之ッ」

 これが・・・溺れてしまう、ということなのか・・・?
 もう何も・・・何も、わからない・・・ッ

 「あぁ・・・欲しい・・・欲しいともッ。左之助・・・お主が欲しい・・・ッ」
 「ハハっ、イイぜぇ、剣心ッ」

 喜々とした表情を見つめつつ、
 剣心は・・・
 厚い肉体へ、しがみついた。
 ・・・離さない。
 この男を、離さない・・・逃さない。

 この男が・・・欲しい・・・ッ


 ・・・雨の音が、聞こえる。
 しと、しと。しとしと。
 ・・・雨の音が、くぐもる。
 くと、くと。くとくと。

 湿った音。
 「あっ、ん・・・はぁ・・・ッ」
 蜜の音。
 「あぁ・・・剣心ッ、もっと・・・」

 空気を震わせるものは。
 水音ではなく・・・睦言。

 「ハッ、左之・・・ン・・・っ」

 先ほどの。
 縋るような眼差しを宿していたとは思えぬほどに。
 その、心が。
 手に届かぬように思えたことが嘘のように。
 剣心は激しく、情熱をぶつけてくる。
 すべてを、忘却してしまうかの如くに。

 無論。
 鋼の肉体を駆使して、左之助も応える。
 剣心の身体が痴れるのは、本能の赴くままであることを・・・
 本音であることを、彼は知っていたから。

 即ち。

 求められれば求められるほど、左之助は満足した。
 自分は必要とされている・・・と、実感できるから。

 最強と謳われる男に、本心から求められているのだと・・・

 湯に濡れて振る舞う姿は、互いに汗に濡れそぼったように。
 四肢を絡め、唇を絡め、視線を絡め。
 片時も離れることなく、触れることをやめることなく。
 指先を伸ばし、
 足を伸べ、
 肌を張りつめ、
 髪を絡ませ。
 如何なる瞬間も離さじとする。
 わずかも離れようものならば、
 湯の雫がそれを、食いつなぐ。

 その様、赤毛の華奢な肉体が男自身を迎えても何ら、変わることはなく。

 「う・・・ぁ、剣心・・・ッ」

 陶然と。
 溶けてしまいそうなほどに瞳を細めて左之助は、己が腰を、深く。

 「左之・・・っ」

 わずかに瞳、逸らし。
 全身を穿つ衝撃に身を染めながら剣心、我知らず腰、浮き上がり。

 ・・・一つと、なる。

 「剣心・・・」

 譫言のように呟きながら、左之助は腕の中の想い人を見遣る。
 簀の子の上、絹糸のような赤毛が四方へ散らばっていた。
 湯に濡れた様、煌めく川面、流れゆく紅葉のように。
 頬を染め抜いて飾る唇、薄く開いたまま閉じられることなく呼吸、こぼし・・・こぼし。

 不甲斐なく。
 左之助は、見とれてしまった。

 「左之・・・?」

 動きを止めた男を、赤毛の人は不思議そうに見上げて。
 汗とも、湯ともつかぬものを滴らせている額へと指先を寄せた。
 ・・・今は。
 彩っているはずの赤いはちまきはない。

 「今だけ・・・拙者のもの・・・左之・・・っ」

 うっとりと告げ、頼もしげな肉体へ身を寄せて剣心、自ら口づけた。
 左之助はあっさり歓喜しながらも、唇を受け入れつつ己が腰、微妙にくねらせた。

 唇を塞がれたままに、剣心は身悶えた。
 声が、言葉が、出せない。
 息苦しさに、左之助の背に爪を立てた。
 血が滲み痛みが走り、されど、
 左之助は唇を離さない。
 なおも吸い上げるように、きつく。

 「んっ、んん・・・ッ」

 男の腰は、やがて別の生物と化す。
 呼応するかのように、両手はがっちりと剣心の肉体を捉えて。
 「雄」の暴走を予感して、剣心は恐怖に戦いた。

 「んっ、んっ・・・ぁ、左之ッ」

 唇の解放は、心の解放。
 心の解放は、本性の現れ・・・

 剣心の腰が。
 左之助同様に画然、別の生物と化した。

 もはや、止まらぬ。

 「左之、左之! ハッ、ぁ、止まらぬ・・・あぁ・・・っ」
 「いいぜ、剣心ッ。止まるんじゃねぇッ、もっと・・・もっとだ・・・ッ」

 霞んでいく視界の中に、湯船の湯気が見えた。

 暑くて・・・眩暈がする・・・

 遠のく意識の中で、剣心は。
 左之助の身体の熱さと、己が心の燃焼を感じ・・・

 「左之、左之・・・ッ!」

 男の温もりに抱かれて・・・
 剣心は、ゆっくりと目を閉じる。
 全身に染み込んでくる開放感に意識を委ね・・・
 誰にも味あわせたくない温もりに、心の平安を知った・・・






 湯の温度よりも、左之助の身体の方が熱い。
 剣心は、忍び笑いをこらえながらそんなことを思った。
 両手で湯をすくってみては、下へと落とし。
 すくってみては、下へと落とし。
 下へと落とし。

 「・・・おめぇの肌ァ・・・やっぱ、綺麗だよなぁ・・・」
 「どうしたのでござるか、藪から棒に」

 湯船の中。
 剣心はゆっくりと身を捩った。
 湯船に背を預け、両脚を伸ばして肩まで浸かる、左之助が居る。
 が、彼は上背がかなりある。
 脚を伸ばす、と言っても少なからず膝は曲がっている。
 そんな脚と脚の間に、剣心はちょこんと腰を落としていた。
 「夜はよぉ、ほら、灯を落とすからどんな肌をしてンのかわからねぇんだよ。それで実際、明かりに照らしてみたら・・・なんてことがあったが、おめぇの場合は全く、そんなことはねぇんだよな・・・」
 「・・・そんなことを言われても、うれしくはないでござるよ」
 はにかんだ笑みを浮かべて、剣心は眉を寄せた。
 「それよりも・・・拙者には左之のような身体がうらやましい。どんなに鍛えても、拙者は左之のような身体にはならなかったゆえ・・・」
 「なんでぇ。俺の身体がいいのかィ?」
 「もちろんでござるよ。飛天御剣流を使うのでござるよ? 左之のような身体の方がよいに決まっている。・・・もともと、強靱な肉体でなくば使いこなせぬ流儀。この身体に歪みが起こっても不思議はござらぬ」
 苦笑交じりに言った剣心の面差しは、左之助の心を少しく刺激する。
 再び背を向けようとした彼の肩を掴み、左之助は言った。
 「だからこそなんだぜ、剣心。俺ぁ、そんなおめぇに惚れてンだ」
 「左之・・・」
 「そんな生っちょろい身体してンのに、悪漢どもを斬り伏せていく・・・見ていて爽快な気分になる。小柄なくせに、最強の剣客・・・俺ぁ、そんな凄まじい力を秘めたおめぇに惚れこんでる、男として惚れこんでる。できるなら・・・その強さ、俺のものにしたいって思う」

 剣心の身体、引き寄せて。左之助は胸に掻き抱く。
 反動で、湯船の湯が荒く波立ち。
 赤毛が、ゆるやかに泳いだ。

 「そうさ・・・俺は男として、おめぇに惚れてんだ。その強さに憧れて、その意志の強さに圧倒されて・・・気が付いたらおめぇのことが知りたくて、たまらなくなって・・・どうすればいいのか、わからなくなって・・・」

 抱きすくめたまま。
 左之助は、剣心の頭上へと唇を降らせた。

 「・・・女に対しての惚れるとは、全く違う。男として、惚れてる。女以上に惚れてる。惚れた上におめぇのすべてが知りたくて、欲しくなった。その身体の強さも、意志の強さも、心もすべて。だから・・・抱かずにはいられなくなる・・・」
 「左之・・・」
 「おめぇは、俺にとっては越えなきゃならねぇ男。すべてを奪い尽くしたい男だ」

 ・・・剣心に。
 言うべき言葉はない。
 それは最高の誉め言葉だったから。
 最高の・・・睦言だったから。
 男としての、うれしさと。
 情人としての、うれしさと。
 様々な感情がない交ぜになって、剣心から言葉を失わせる。

 心のどこかで、自分の告白に対しての言葉を期待していた左之助、
 いつまでたっても何も言ってこない剣心に、少々苛立ちを覚えた。
 別に反応が欲しかったわけではない。
 だが・・・何らかの返事くらい、あってもいいはずだ。

 「剣、」
 「左之っ」

 我慢できずに口火を切った途端。
 剣心の唇が、左之助の唇に重なって。
 湯が。
 水面を消して二人を映し。
 絡み合う二人を映し。

 吐息をも、映して・・・

 「拙者を欲して・・・左之っ。拙者を・・・」

 無言でうなずいて・・・左之助は。
 湯船の中で再び、唇を這わせ始める。
 甘い喘ぎを、紡がせながら・・・

 「は、あぁぁ・・・左之・・・っ」

 いつか必ず、この男は自分を越えていくだろう。
 いつか必ず、この男は自分を奪い尽くしてしまうだろう。
 その時・・・
 この男は、それでもまだ自分を欲してくれるのだろうか・・・?

 きっと、答えはそのうち訪れるだろう、自ずと。
 たとえそれが結果的に、幸か不幸を招こうとも・・・
 自分は、満足するだろう。
 不満など微塵も感じないだろう。
 一時的なことであるにしろ、
 長大な人生の中で、甘美な時間があっても良いだろう。
 生涯、彼とともに歩めるとは考えられない。
 否、それができれば一番良い。できることなら、心底そう願う。
 だが、時代がそれを許さないのならそれでもいい。
 ただこの一瞬を、許してくれるのならば・・・

 「馬鹿野郎。おめぇだって、俺が欲しいんだろうがッ。自分から唇を吸いやがって・・・」

 心地よい傲慢さを肌に絡めながら、剣心は悶える、
 喘ぐ、
 鳴く。
 唯一の、男の前で。
 彼にならば・・・

 ・・・雨の音が、聞こえる。
 しと、しと。しとしと。
 ・・・雨の音が、くぐもる。
 くと、くと。くとくと。

 いつまで降る?
 しと、しと。しとしと。
 できれば・・・長く。出来るだけ長く。
 しと、しと。しとしと。
 音がくぐもってしまう、その先で・・・
 くと、くと。くとくと・・・

 睦言が紡げますように、長く、長く・・・・・・




     了


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〜 HP「花は爛漫」さま内・「綾なしてさく雫」部屋へ捧ぐ 〜





m(_ _)m

 拝啓 〜 「雨の中の金平糖」編(改訂 01/7.21)

 おそらく初めてでござろうな、プロットを制作したのは。・・・制作といえるほど素晴らしいものではなく、ほとんど殴り書きのようなものでござるが、しっかり一から書いてみたいと思ったのでござる。
 が、そんなものは無用の長物であることが判明(涙)。朧ながらにしろ、プロットを書いたはずなのに全く、あらすじが変わってしまったのでござる。
 プロットの方では、金平糖を持っていた子供が左之助とぶつかり、ばらまいてしまった金平糖を左之助が購入。ついでに剣心の分も買っていったらちょうど誕生日で・・・というようなものでござった、のに・・・。
 どこからどう、なってしまったのか。出来上がってみればハイ、この通り(笑)。
 進めていけば進めていくほど、剣心が心の闇を解放していくではござらぬか(涙)。そりゃ、左之助も怒るというものでござる、ウン。
 何度も書き直したりしているうちに、少々嫌になって途中、「梅雨、ある一幕」が誕生してしまった(笑)。
 様々な苦難の中で生まれた代物、そして作品名をつけることも一番悩んだ代物でもござった(笑)。

04.05.07 UP